春 の 嵐 @ A B C | |
そんなこんなで撮影が終わった時にはすっかり夜だった。 ぐったりと疲れ切った乱太郎は車に乗りながら、またあの道をあの運転で戻るのかと思うと涙が出そうになった。が、運転席に乗ったのは大木ではなく、鬼蜘蛛丸だった。 「お腹が空いたでしょう。美味しいお蕎麦屋さんに寄りますから、少し待ってくださいね」 優しく言われてこっくりと頷いた。空腹を感じている余裕も無かったので気付かなかったが、言われてみると夕食の時間は疾うに過ぎている。急にお腹が空いて来た。静かに発進した車は、校門前の広くてきれいな道をゆっくりと道なりに下っていく。 「あれ、良いんですか?この道で」 「ああ、この道の方が本当なんですよ。あの道は大木さんが好きなだけです」 思わず聞いた乱太郎に、鬼蜘蛛丸は苦笑した。ちゃんといい道が有るのに、あんな酷い道を自分の楽しみの為だけで走っただなんて!思わず喚きたくなったが、後ろから聞こえてくる笑い声に脱力し、乱太郎はぐったりとシートに凭れ掛かった。結局、何を言っても無駄なのだから、と。だが、何故運転が鬼蜘蛛丸になったのか、乱太郎が気付いたのは蕎麦屋に着いてからだった。 その蕎麦屋は、やはり道を外れておくに引っ込んだ所にあった。駐車場なのか砂利を敷いた広い場所の奥に、小汚い小さな店らしきものがあった。看板も暖簾も出てなかったのだ。戸惑う乱太郎を囲んで男達はどやどやと戸を開けて入っていく。と、店の中は古いもののきちんと掃除がされていて、意外ときれいだった。 「オヤジ、来たぞ」 「おお、仕度は出来とるぞ」 大木の声に、奥から答えが返った。店の中の、此処しかないのだろう座敷に置かれた大きな座卓の上には、グラスと箸とおしぼりが用意されている。一番の上座に乱太郎が座り、向かいに第三協栄丸、座卓の長い方に二人ずつが座った。店の中には揚げ物をする油の匂いが微かにして、乱太郎のお腹がきゅっと鳴った。 「おい」 「はい」 第三協栄丸の声に鬼蜘蛛丸が立ち上がり、座敷を下りた所にある冷蔵庫からビールを取り出した。それを大木が受け取り、せんを抜いて回す。てんでにグラスに注ぎあい、乱太郎のグラスには麦茶が注がれた。 「じゃぁ、お疲れ様でした。かんぱーい」 「「「かんぱーい」」」 と、声を合わせて言い、静かな空間にビールを飲み干す音だけが響いた。 「かーっ、美味い」 「美味しいですね」 「うむ」 あっと言う間に人数分の瓶が空になり、大木がまた冷蔵庫に取りに行く。と、店の奥から痩せたお爺さんが大きな皿を二つ持ち、肘には籠を下げて出てきた。座卓に置かれた大皿には、天ぷらが盛られていた。お爺さんは皿を置くとさっさと奥へ戻ってしまった。籠の中から取り皿と幾つかの小さなタッパが出されて、回される。隣に座った鬼蜘蛛丸が、二つの取り皿に、タッパの中身を取り分けてくれた。 「なんですか、これ」 「緑のが抹茶塩、黄色いのが柚子塩、茶色いのが藻塩。天ぷらに付けて食べるんですよ」 「天ぷら、お塩で食べるんですか?」 「ええ。美味しいですよ」 そう言って、何かの天ぷらを皿に取ってくれた。 「これは何の天ぷらですか?」 「漉し油という山菜です。あれがタラの芽、こごみ、山独活、田芹、蓬、ふきのとうです」 鬼蜘蛛丸は丁寧に説明をして、どうぞ、と言った。言われるままに一寸塩を付けて食べてみる。天ぷらは熱々で、さっくりとした衣と山菜のほろ苦いような旨みと甘みが、塩で引き立てられている。天汁で食べるのとはまた違った美味しさがあった。 「…美味しい」 「でしょう。どんどん食べてください」 そう言って、鬼蜘蛛丸は自分も食べ始めた。飲み物は乱太郎と同じ麦茶である。 「あれ、ビール飲まないんですか?」 「はい。運転手をしなくては成らないので」 苦笑して言った所へ大木が割り込んだ。 「こらっ、何をイチャイチャしておる!わしも混ぜろ」 ぐっとビールを飲み干し、空のグラスを乱太郎に差し出す。 「注いでくれんか」 「ほらよ」 そう言ってそのグラスにどぼどほと泡を立ててビールを注いだのは野村である。 「乱太郎君は良いから食べていなさい。腹を空かせている子供に可哀相だと思わんのか」 「じゃぁ、お主は乱太郎に酌をして欲しくないのか」 「そりゃ、欲しいに決まっている。だが、せっかくの美味い天ぷらを熱いうちに食べさせてやりたいとは思わんのか?」 見ろ、と顎で小松田の方を指すと、とりあえずご飯、の彼は何時貰って来たのかご飯の入った丼を手にして、夢中で天ぷらを食べている。 「わぁっ、これ苦いですよぅ」 齧りかけの天ぷらを慌てて第三協栄丸の皿に乗せる。 「なんだよ、ふきのとうじゃないか。苦くないだろう、この位は」 「ボクには苦いんです」 ぷっと膨れてビールで口を直すのを見て、第三協栄丸は呆れて、それは苦くないのか、と突っ込んでいる。 「な。乱太郎君もどんどん食べなさい」 「はい」 その間にも、店のお爺さんが時々出てきては、何かを置いていく。それは野蒜の酢味噌和えだったり、こごみの胡桃和えだったり山独活の金平だったりした。それぞれがとても美味しかったのだが、その頃にはビールから日本酒に移っていて、何時もの酒席となんら変わりは無くなっていた。四人で掛かっているので一升瓶の空くのも早く、メインの蕎麦が出てくる頃には空瓶が二本転がり、三本目も半ば空いていた。 「おおっ、来た来た」 「うむ。いい香りだ」 「わぁ、お蕎麦だ」 蕎麦が来た途端、てんでに蕎麦猪口を持ち、食べに掛かる。酔っているのに良く分かるなぁ、と思いつついい加減お腹が一杯だった乱太郎も、釣られて蕎麦に箸を伸ばした。白っぽい細打ちの麺が、食べやすいようにと小さく纏められている。と、一口食べて目を丸くした。なんと言って良いのか良く分からないが、とにかく美味しいのだ。 「美味しい…」 「じゃろう。どんどん食えよ。まだ来るからなぁ」 ずるずると派手な音を立てて蕎麦を手繰りながら、大木が言った。細打ちの腰の強い蕎麦は咽喉越しが良く、大きな笊に盛られていたと言うのに、あっと言う間に無くなってしまった。と、見計らったように次の笊が来る。皆は二笊目にしてやっと、添えられていた山葵や大根おろしなどの薬味を使い始めた。乱太郎は残っていた天ぷらを入れて、天ざる蕎麦を楽しんだ。本当にお腹が一杯になってしまったのだが、大人の方はまだこれから、とでも言いたげだった。残った蕎麦や、蕎麦湯、丁寧に摩ってある薬味の山葵などを相手に、また飲み始めたのだ。 しかも、乱太郎が食事を終えたと見るや、 「もういいだろう」 「一寸来い」 などとてんでに言って、乱太郎を引っ張り、酌をさせたり膝に抱いたりしようとする。ああっ、やっぱり、と乱太郎は泣きたくなった。やっぱりただでは済まないのだ。助けてくれる利吉はいないし、唯一素面の鬼蜘蛛丸に頼るのも、なんとなく嫌なのだ。仕方なく、一人に一杯づつ酌をして回り、伸ばされる不埒な手は思い切りひっぱたく事にした。だが、いい加減、一人で二升近くも飲んでいる大木と第三協栄丸に掴まってキスを迫られた時には、さすがに泣きながら悲鳴を上げてしまった。 「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっっ!利吉さぁんっっ!」 瞬間、ごんっと厭な音がして、大木と第三協栄丸は昏倒した。乱太郎が恐々と目を開けると、其処には蕎麦打ち用の麺棒を持ったお爺さんと、空のビール瓶を持った小松田が物凄い顔をして立っていた。 「この戯けめがっ。いい加減にせんかっ」 「第三協栄丸さんの馬鹿ぁっ!」 一同は呆気に取られて倒れた二人を見ていたが、やっとごつい男の手から逃げ出した乱太郎に、野村が言った。 「もう一杯だけ、酌をしてくれないか」 乱太郎は滲んだ涙をハンカチで拭いて、五十センチ離れた場所から用心深く、野村と小松田にもう一度だけ酌をした。 昏倒したままの二人を荷台の方に放り込み、再び車に乗ったのはそれから三十分ほど経ってからだった。乱太郎はお土産の生蕎麦と山菜の包みを膝の上に抱えていた。店のお爺さんが、持たせてくれたのだ。 「今日はお疲れ様でしたね」 「はぁ」 鬼蜘蛛丸の心から同情するような声に、乱太郎は気の無い返事をする。酒が入っていれば鬼蜘蛛丸だって、大木と大して変わらないのだ。酔っているのかいないのか分からない野村と、小松田が控えめな位で、やる事は余り変わらない。 「後は帰るだけですからね。眠ってていいですよ」 そう言って笑う。時計はもう十時を過ぎていて、蕎麦屋には三時間近くいたらしい。早く、利吉の所に帰りたい。利吉の温かくて広い胸にしがみ付きたい。そうしたら利吉は優しく抱き締めて、乱太郎の大好きな、落ち着いた少し低い声で慰めてくれるだろう。眠ってしまえば時間が経つのは直ぐだから、と、乱太郎は確り締めたシートベルトに掴まって目を閉じた。 しかし、大木と真反対で安全運転を第一とする鬼蜘蛛丸の運転手で乱太郎が自宅についたのは、明け方近くだった。 マンションの入り口で待っていた利吉と一緒に部屋に戻った乱太郎は、それから二日間、部屋から一歩も出ようとしなかった。利吉も、玄関のチャイムも切り、電話線を抜き、携帯電話の電源も切ってしまい、外との連絡は取れないようにしてしまった。この週末だけは、誰にも邪魔はされたくなかったのだ。おかげで、楽しい週末を二人きりでゆっくりと過ごすことが出来た。 たっぷりとお互いに甘えて、やっと新婚の醍醐味を味わった二人は、日曜日の夜になってやっと電話線を繋いだ。と、途端に電話が鳴り出した。 「はい、山田です」 乱太郎が出ると、それは猪名寺の父だった。 『お、乱太郎か。電話が通じなかったんだが、どうかしたのか』 「父ちゃん?そんな事ないよ。番号間違えてたんじゃない?」 『そうか?まあ、いいか。それよりあっちはどうだった?』 「どうって、何が?」 『パンフレットの撮影だ、決まってるだろう。お前が名門【はぐ】のパンフレットのモデルに選ばれたって聞いて父ちゃん鼻が高くてなぁ。出来上がったら家にも一部送ってもらってくれよ?ああ、それから、大木さんに貸したマンションの鍵も返して貰わんとなぁ。お前のうちに遊びに行けなくなるからなぁ。ははは』 黙って聞いていた乱太郎のこめかみに、怒りの四つ角が浮いた。自分の物でも、況してや利吉の物でもない鍵は、実家へと心遣いから利吉が渡してくれていた鍵だったのだ。 「…家の鍵貸したの、父ちゃんだったの」 『だって鍵がないと入れないだろう』 「こっそり合鍵でも作られたらどう責任とってくれるのさ?此処は私と利吉さんの家なんだよっ!勝手なことしないでっ!もう鍵なんて絶対に渡さないからっ!会う時だって絶対外にする!じゃあねっ!」 泣き声で喚いて、乱暴に受話器を置いた。誰が鍵を貸したのかと思ったら、自分の実の親だったなんて。利吉を少しでも疑ってしまった自分が情けなくて、乱太郎はしくしくと泣き出してしまった。側で聞いていた利吉が優しく抱き締めて、乱太郎の髪を撫でた。 「鍵は明日にでも業者に頼んで取り替えてもらおう。合鍵を作っても無駄なように電子ロックの奴が良い。そうしたら、私のと乱太郎のと二つで良いしね」 「…うん」 「でも、お義父さんだけを責めちゃいけないよ。モデルの申し込みをしたのは父上で、猪名寺のお義父さんには、私達に言わないようにと口止めしていたんだよ。本当にごめんよ」 「お義父さんが…?ねぇ、私【はぐ】に入れられちゃうの?利吉さんと離れなくっちゃいけないの?撮影の時にいた子達、皆良く分からない言葉で喋ってて、凄く怖かったんだよ」 心配そうに聞いてくる乱太郎の鳶色の眸が涙で潤んでいる。その眦に口付けて、利吉は囁いた。 「大丈夫だよ。私が乱太郎を何処にもやる筈は無いじゃないか。こんなに可愛い乱太郎と離れることなんて考えられないよ」 「利吉さん…、大好き」 「乱太郎…」 確りと抱き合って、二人の甘い週末の最後の夜は更けていった。 だが、本当の災難は、実はその後の事だった。 パンフレットの出来は上々で、評判が良く、入学申し込みは殺到した。だが、【はぐ】本校で噂になっていたのは別の事だった。所謂、『パンフレットのこのメガネの可愛い子は何方?』という事である。乱太郎は【はぐ】関係の初等部の子供ではなかったので、現在いる在校生にはその素性が全く分からなかったのである。しかも本人を見た、鉢屋と不破は『とても素直でお可愛らしい、雛菊のように愛らしい方』と、口を揃えて言うのである。現在四年生以下の、一部の生徒はかなり期待をしたのだ。『パンフレットのモデルになるのだから、いずれは【はぐ】に入学するだろう』と。意味も無く【はぐ】本校で高まる期待を知らないのは、乱太郎をモデルにと推した、大人たちと、不幸にも巻き込まれてしまった利吉と乱太郎だった。 災難は一年後の、乱太郎の受験のシーズンに再び浮上するのであった。 終 |
|
其のB← TEXT:利太郎様 【利】 □件名:むつごい運輸 こんばんわ、お久し振りですね。 利太郎です。 大分遅くなりましたが、リク、出来ましたのでお送りいたします。 『狙われたおさな妻!主人のいない間に乱入する男たち。 おさな妻に何が有ったのか。高級マンションの危険な昼下がり!』 と、言うことでしたが、 ご期待に添えているのかどうか、甚だ不安では有りますが、 精一杯頑張りました(涙) お受け取り下さいまし。 (返品可です) ←するものですかああ!!!(犬) やりたい事を全部詰め込んだので、 途中で力尽きてしまうのではないかと、ドキドキでした。 乱太郎の実年齢を明瞭と書いた時に、 この部分だけで地下室行きだと思ってしまいました(冷汗) 小松田君に婚約してもらってて良かった…。 少しでもお楽しみ頂ける事を祈りつつ。 【犬】 今回添えていただいたメールがなんかとっても にやり、だったので そのままUPさせてもらっちゃいました。(いい加減怒られそう…。) お話ですが、忍玉をビデオ録画してる人は6/27「鬼蜘蛛丸の体質の断」を合わせて見ると ちっちゃい幸せでたまらないことになります。割烹着ですよ! 役得の野村先生もいい味です。ほんと、アニメにも出れば良いのに。野村先生(笑) そんでもって!はぐむす。です!うわーびっくりしました! むつごさとお花ちゃんたちのギャップがもうー!!うくくく…(床を転がりながら) ていうか喜三太かわいい…。(ふと顔を上げて) ああん; 頑張ってしんべエもかいときゃ良かったなあ→K でもカメラマンの知り得ないこんないきさつがあったなんて♪てかんじですv 年齢は…平行宇宙ってことで手を打ちませんか。 ほんとにいつも利太郎様の芸域の広さにはほとほと腰を抜かしております。 利太様。おばかなリクに見事(過ぎです!)応えて下さってどうもありがとうございました!! お疲れさまでしたm(_ _)m ←玉 |