読書メモ
・「ウェブ人間論」
(梅田 望夫、平野 啓一郎:著、新潮新書 \680) : 2007.03.31
内容と感想:
「ウェブ進化論」の梅田氏と芥川賞作家の平野氏の対談。
梅田氏は私より少し年上でビジネスとテクノロジーの世界にいる。
平野氏は私よりもずっと若い世代で文学の世界にいる。
畑の異なる2人だが、それぞれの立場でインターネットに触れてきた視点から
その進化が我々人間にどんな影響を与えてきたか、今後与えていくか話し合っている。
最近のネットにおける変化は「Web2.0」で表現される新たな潮流であるが、そのキーワードの一つに「ユーザ参加型」というものがある。
アマゾンはユーザに商品のレビューを書かせることで集客に利用している。
またユーチューブやSNS、ブログ、のようなサービスもユーザにコンテンツを提供してもらい、ユーザが興味を持ってくれるよう集客力を競う。
そしてそのサービスは広告料収入が支える。また口コミ効果による商品の販売促進役もユーザは担っている。
我々はうまく利用されているようだが、利用もしている。うまく考えたものだ。
しかしどうも「Web2.0」論がしっくり来ないのは、インターネットとの出会い以上の衝撃が私には感じられないからかも知れない。
ネットの登場で我々の生産性は大きく向上したと言える。
それ以前にもコミュニケーションの手段としては電話、電報、無線などがあったが、メールや文書の共有、予約など各種手続きなどが
居ながらにしてできるようになったことの影響が大きかった。それに比べると今度の「Web2.0」騒ぎには冷めた見方をしている。
平野氏はかつてネットでバッシングされたことがトラウマになっているらしく、それが原因で今も
ネットに対して爽やかな感情を持ちきれないという。ネットには陰陽ふたつの面がある。
それとうまく付き合っていく必要がある。そのような話も二人はしている。
ネットで多くの人が発言するようになって、様々な考え方があり、様々な考えをもつ人がいることを人は知ることになった。
多様性を認め、お互いを尊重するような社会の構築にネットは今後も貢献するだろうし、そう期待したい。
単に生産性向上のための手段としてだけでなく、ネットで社会がよりよくなる方向に向かう仕組みが実現出来れば(どんなものか想像できないが)、
それこそ「Web2.0」的と言えるのではないか。まあ2.0であろうが3.0であろうが、バージョンを付けた人の勝手だから、
それがマイナーバージョンアップに過ぎないのか、メジャーバージョンアップ級なのかは後で分かる。
○印象的な言葉
・ネット上では言語圏が壁となる。ネット上に言語の大陸ができる。日本にとっては孤立を強いられる
・日本では潜在能力の高い人が、ただ今は社会的に沈没しているのではないか。彼が筋の通ったことを言えば世の中はよくなる
・ギブ・アンド・テイクをフェアな、理想的な人間関係と見るのはちょっとカンベン(功利主義的)
・答えを出すことに関しては若い人のほうが能力が高い。それが現実社会にも求められる能力の大半。
・金がなくてもどうにかなる可能性がネットで大きくなった
・日本で重んじられる「調和」は個性に対する一種の暴力として機能する
・日本語が世界中のブログで一番使用されている言語
・ネットの負の部分をやり過ごす強さ、見ないようにするリテラシーを身につけなければいけない
・アメリカではアマゾンが出てきてから本の売上が伸びた
・簡易製本機:ユーザ個人がネットから本のデータをダウンロードし、両面印刷して本らしく綴じてくれる
・アマゾン・アップグレード・サービス:アマゾンを通して購入した本をオンラインでも読める
・コンテンツ系の大型イノベーションを起こしたのはアマゾンのジェフ・ベゾスとアップルのスティーブ・ジョブズの2人だけ。
技術に関する感性とプロデューサー能力を併せ持ったカリスマ的なイノベーター。
・技術の方から世の中を変えることの難しさ。技術で変えていくには狂気が必要。
・一人ひとりのユーザを便利にしようという発想。新世界の創造に参加、小さな奇跡を起こすことのワクワク感、称賛、正しいことをやっている
・動画サイトなど情報のフロー性が高くなっている。情報をストック(保存、所有、私有)しないことに慣れてきた
・人の魅力の源泉の一つ:教養の核、広義の頭の良さ、表情・雰囲気。ネットでは増幅できない要素
・ウェブ登場による変化:身体性から切り離されたところで活発に活動するようになった。ウェブ上に自分の分身がいる
・その良さが分からないせいで淘汰されてしまう優良な情報もある
-目次-
第1章 ウェブ世界で生きる
第2章 匿名社会のサバイバル術
第3章 本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ
第4章 人間はどう「進化」するのか
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