読書メモ
・「信長街道」
(安部 龍太郎:著、新潮文庫 \400) : 2007.03.24
内容と感想:
著書「信長燃ゆ」を書くために信長生誕の地である名古屋から最期の地・本能寺までを訪ねた紀行集であり、取材ノートでもある。
先に読んだ「戦国の山城をゆく」の内容とも重なるところがある。
岐阜城、観音寺城、安土城、比叡山延暦寺、などは前書にも登場している。取材のため何度も通うこともあるだろうが。
遠くは信長に使者として近衛前久が派遣された鹿児島市まで訪ねているが、
更にはイエズス会東インド巡察師ヴァリニャーノが学生時代を過ごしたイタリアはベネチアまでも足を伸ばしている。
著者はそれぞれの地で、それぞれの出来事を振り返り、信長が考えていたことに思索を巡らせている。
興味はやはり本能寺の変の謎になるが、最終章では著者の考えが示されている。まだ「信長燃ゆ」は読んでいないので
先に結論を聞いてしまって残念な感があるが、一つの説として非常に興味深かった。キーマンは近衛前久であるが、
これ以上は書かない。信長の死は朝廷にとっては、朝廷制度を維持できた点でよかったのかも知れないが、
庶民にとってはどうだったのだろうか?庶民派・秀吉が信長の意志を引き継いだ形になったが、
信長の目指した変革とは違った形になったようだ。
○印象的な言葉
・信長の政策は下層民には支持されていた。政策は上に厳しく、下に手厚いものだった。
・武田家滅亡前、領民たちは武田家の圧制に苦しんでいた。
・信長の生涯は革命のための戦い、日本という国のあり方そのものに関わる問題に直面していた
・怒りと狂暴性は生涯を貫く際立った特徴、並外れた合理性
・怒りをエンジンとし、合理性を舵とした
・織田家の原動力は津島港の海運から。港の雰囲気を肌で感じた。自由な活気に満ちた港。経済や金銭感覚も磨かれた。
・いかに早く情報を仕入れ流通ルートを確保するかが成功の秘訣。現代にも通じる
・若い頃の傾いた装いは呪術的な力を取り込もうとしていた
・桶狭間直前まで、重臣との対立は根深く残り、頼りにしたのは7、800ばかりの親衛隊のみ
・雨の日には戦をしないのが鎌倉時代以来の武士の作法
・戦略に応じて次々と拠点を移していくのは商業型の大名だからできた
・人の心理や能力を見抜く明晰な頭脳の持ち主
・天下布武:戦国時代は”天下”とは天皇のいる京都を指した
・下克上の最終目標は朝廷制度を改めること。位階制により築かれた上位の者たちの支配構造を打ち破ること
・仕来りを平然と破り、旧来の礼儀など屁とも思わぬ
・足利将軍の利用価値がなくなると見ると、朝廷と直接結びつく道を模索し始める
・信長包囲網の黒幕は近衛前久。上洛時に前久を洛外に追放した義昭も、従兄にあたる前久に擦り寄る
・比叡山焼き討ちを境に人が変わったような暴虐ぶりを示すようになる。内面で大きな変化が起こった。その変化の本質こそ信長研究の最大の課題。
・焼き討ちの最大の理由:上位の者たちが結束して信長を潰そうとしていることへの警告。
・宣教師やイスパニアからの技術供与:見返りを求めていたはず。天下統一後の布教の許可、同盟国として彼らの利益に貢献すること。期限を約束させられた可能性も。
・前久の出奔の罪を許し、公家社会に復帰する道を開いてやった信長。彼の力量を見込んで過去にとらわれず、信長政権への協力も要請
・誠仁親王の二条邸への移徒(わたまし)の実現は、信長の奏請という前例、実績をつくる意図があった。
・信長は親王の皇子・五の宮を猶子とし、やがては皇位につけ、自分は天皇の父となることで朝廷の上位に立とうとした
・信長の力で朝廷の復興がなった。魔性の男を御するには内懐に飛び込んで信頼関係を築くしかない。前久は朝廷を守るため捨て身で信長に仕えた。
・ヴァリニャーノが日本に派遣されたのは明国出兵を迫るためだった?自分を神として礼拝させたことが要求への回答
・鉄砲伝来ルートは複数ある。伝来した古式銃の設計はヨーロッパ式ではなく、東南アジアあたりのもの
・王直は東南アジアの硝石、薩摩の硫黄を種子島にもってきて火薬を製造しようとした
-目次-
第1紀行 信長のゆりかご
第2紀行 骨肉相食む
第3紀行 決戦桶狭間
第4紀行 岐阜に立つ
第5紀行 電光石火の上洛
第6紀行 比叡山焼き討ち
第7紀行 信長包囲網
第8紀行 前久との蜜月
第9紀行 ヴァリニャーノの要求
第10紀行 本能寺の変
|