読書メモ

・「十七歳の硫黄島
(秋草 鶴次:著、文春新書 \800) : 2007.04.25

内容と感想:
 
太平洋戦争で硫黄島で戦った日本兵21,000人余のうち、生還した方はわずか1,023人という。著者はそのうちの一人である。
 名将・栗林中将が突撃、戦死した後も、島中に構築された地下壕に多くの兵士が潜んでいたという。 投降も突撃も自決もできず、逃げ場もなく、飢えと渇きの中で苦しみ抜いて死んでいった者も多かったと言われる。 タイトルの「十七歳」というのは著者が硫黄島に赴任したときの年齢。 赴任したその島に彼を待っていたのは「はじめに」あるように「かつてあったはずの、可能性や夢からもっとも遠い現実だった」。 本書はその硫黄島の生き残りだから書ける、想像を絶する戦場の手記である。
 リアルタイムの戦場で書いたメモではなく、日本に帰還後、少しずつ記憶や資料をもとに整理し書かれたものである。 月日が経ってから書かれたものだけに冷静に当時の状況や心境を振り返っている。 先に読んだ総指揮官・栗林中将を中心に描いた「散るぞ悲しき」とは違い、現場で体験した者でなければ書けない生々しい描写が多い。 兵士たちは地下壕という住環境としては酷い場所で持久戦を強いられていた。その様子を 「硫黄、人いきれ、汗、油、体臭など、すべての悪臭を混ぜて発酵させたような臭い」と表現している。どんなに凄い臭いか想像もつかない。
 そんな戦場という極限状態での人間の精神状態に一番興味があったのだが、生きて帰る見込みがないことを悟ってからは 「観念さ。腹の立つことも、恐れることもなくなる。生き仏の心境だ。」と書いている。 国家指導者への恨みや批判も、米軍に投降していった日本兵にも特別の感情を表してはいない。 生還後、現在に至るまで、また現在の心の中も多くを語っていない。
 海軍の通信兵だった著者は階級も違う栗林中将のことにはほとんど触れていない。あえて避けたのかも知れない。 しかし、栗林中将らが総攻撃をしかけて散った最期の様子をたまたま聞いてからは、張り詰めていた緊張が解けたのか、 そのまま意識不明となり、奇跡的に米軍に発見され九死に一生を得たそうである。その後、捕虜としてアメリカ本土にまで移送されたこともあった。 手足に負傷し、飲まず食わずで来る日も来る日も地下で潜んでいる。反撃、逆転の希望もない状況で、とにかく生きることに集中していた。 著者を支えていたものの一つは栗林中将らの部隊がまだ残っているという僅かな希望だったようだ。
 さて現代に戻って、いま「希望格差社会」という言葉があるように、日本を覆っている絶望に似た雰囲気は、 希望がない、もてない、という意味では硫黄島の状況にも似ている。目の前に”死”という文字が浮かばないだけで。
 「今日もまた生かされたのか」、「まだ死にたくない、生きるんだ。自分から死ぬことはない。なぜ生まれてきたんだ、二度とない人生だ、一つしかない人生だ、 一つしかない命だ。・・」、「この世にもう少しいたい気持ちが湧く。・・生まれてきた甲斐がないじゃないか。この世にまだやらなくてはならないことがあるんだ。 それをやりたい、やらせて欲しい。・・・」 といった著者の言葉は、現在の我々がどんなに辛くて苦しく、たとえ死にたいと思っても、その考えの甘さ、心の弱さを認識させてくれるだろう。 戦争当時の著者のような多くの方々の心境を思えば、容易に死を選ぶことの卑怯さ、罪悪感を実感することだろう。 苦しいときにこの本を思い出す、読み直すと、心を奮い立たせてくれるかも知れない。意外に人間は簡単には死なないんだということも私は学んだ。

○印象的な言葉
・神も奇跡も信じられない
・魂の葛藤が続く。ようやく結論に近づく頃に、本能が芽生える。死んでたまるか、生きて見せる。
・いっそ直撃なら幸せだ。でいるならそうあって欲しいと思っているから弾丸は恐くない。手足をもがれ、半殺しにされるのが嫌だった。
・まず自分に勝たねばならない。弱音を吐いたらそれまで
・最後を綺麗に生きよう。どうせ早いか遅いかの違いでしかない
・もう、何日なのかもわからない
・短く見ても一週間、長く見たら半月は水一杯口に入れていない
・生ある限り、生かされてみるつもりだ。それが幸せになるか、不幸になるかはその時になって答えが出るだろう
・耐久試験だ、これは。人間の・・。
・俺はこういう生き方しかできなかったんだ。勘弁してくれ・・これで許してくれ、これで精一杯なんだ

-目次-
第1章 米軍上陸は近い
第2章 情報収集
第3章 米軍上陸
第4章 摺鉢山の日章旗
第5章 砲撃と負傷
第6章 玉名山からの総攻撃
第7章 壕内彷徨
第8章 一瓶のサイダー
第9章 石棺