読書メモ

・「「特攻」と日本人
(保阪 正康:著、講談社現代新書  \720) : 2006.08.26

内容と感想:
 
あの戦争は何だったのか」の著者である。前作では右でも左でもなく、感情論にならないよう第二次世界大戦を論じていた。 太平洋戦争開戦から終結までの総括をした本であった。8月になるとつい、この手の本に手が伸びる。 本書では同じ太平洋戦争で「特攻」と呼ばれる決死の体当たり攻撃の理不尽さ、不条理さ、を改めて認識し、 そんな世界でもまれに見る戦術を編み出し、実行した「日本人」の性格を見つめ直している。
 この60年間に語られてきた特攻への見方とは違う、新たな特攻論を構築したいと考え著者は本書に取り組んだ。 ”まえがき”ではあの戦争には日本人の性格がよくあらわれている、と言っている。現代に生きている我々は過去のことを 何やかやと批判できるが、もし自分があの時代に生きていたとしたら、(批判されるような)同じような行動をとったかも知れないのだ。 それが日本人の性格、と言っている意味である。特攻を命じられたとする。そんな非人間的なことは出来ない、と断固拒否できるだろうか? 軍や上官から処罰されるかも知れない、国民からは臆病者とそしられるかも知れない。自らの意志に従って逃げ出せば故郷の家族の身に何が 起きるかも知れない。内心とは裏腹に、お国のために、故郷や家族を守るために、と覚悟して出撃していくのではないだろうか? それが良いと言っているわけではない。そういう雰囲気に陥る危険性を日本人は秘めていることを歴史が物語っているということだ。
 戦争に負けたことも、310万人もの日本人が死んだことも全て時の指導者のせいばかりには出来ない。 偽りの大本営発表を国民に華々しく宣伝した新聞などのメディア、それを真に受けて踊らされた国民。 本当に国民全てが原爆2発が落とされるまで一億玉砕するつもりだったのだろうか? 愚かな戦争指導者を自ら倒す力も知性も国民にはなかったのだろうか?そして現実を見ていなかった天皇。 今年も靖国問題で騒がしかったが、A級戦犯だけが悪いのではない。全てに責任があるのだ。
 また、”あとがき”にはこうも書いている。日本人は戦争に向いていない、と。ひとたび戦争に走れば、際限のない底なし沼に落ち込んでいく性格を持っている、と。 (別の表現では、ひとたびタブーが破られれば際限なく直進していく国民性、とも) それを明確に表わしているのが特攻であった。著者も言うようにそんな(泥沼の戦争に陥りがちな)システムを二度と生まないよう、 国民一人一人が自立し、自分の頭で考えて選択し、生きていくことが日本人に求められることだ。
 先日、NHKスペシャルで玉砕の島・硫黄島での戦闘が特集されていた。島の名前だけは知っていたが、 かつてそこで繰り広げられた壮絶な持久戦について初めて触れた。生還者がいて、なお現在存命でおられたのも驚きであったが、 日本兵にとっては逃げ場もなく、まるで地獄と化したその戦場は想像を絶している。 新聞の”玉砕”という文字が国民を鼓舞したという。本当にそうだったのだろうか? 日本本土防衛の最後の砦であった島が玉砕した。本土決戦が現実化を帯びた。明らかに敵は本土に迫っている。戦況は明らかだった。 国民は本当に死を決したのだろうか?大本営もメディアも国民全員に死ね、と言ったのだ。 天皇は誰が守るつもりだったのだろうか?世界を敵に回し、それでもゲリラ戦で持久戦を続けて勝てる見込みがあったのか? 日本民族を絶滅させる覚悟だったのだろうか?誰もが正気を失っていた時代というしかないだろう。 冷静な判断力を失っていた。チェック機能も働いていなかった。
 くどいようだが(日本人だけがそうなのではないと思いたいが)人間にはそういう危うい面があるということだ。 安易に危うい方に傾かないよう、人間は理性を持たねばならない、知性を磨かねばならない。特に一国の指導者たらんとする者は。

○印象的な言葉
・公然と特攻作戦に反対した海軍の飛行隊長。人類普遍の原則をふまえて。
・特攻を命じることは何の権利もなしに彼らの人生を終わらせること
・特攻を美化することによって、特攻隊員たちの本当の思いを見逃してはならない
・特攻隊員には誰もがなれるわけではない。操縦技術を習得し、任務に望む精神力が必要
・個人の人格など寸分も考慮しなかった日本軍
・サイパン陥落時点で終戦工作に入るべきだった
・未来を断ち切られる無念の思い
・特攻隊員には都市の有閑階層の指子弟はほとんどいない
・過酷な訓練が思考を奪い、理性を遠ざけ、特攻という兵器と化していった
・プロ軍人がもつ学徒兵に対する苛立ち
・特攻が繰り返されると、それは当たり前の作戦になった。慣れ、異常な興奮状態、死への願望まで生じていた。
・特攻は国家の個人に対する犯罪行為
・国家が軍事行動を発動するのであれば相応の説明と国民を納得する説明がなければならない
・当時の政治・軍事指導者は政治工作、外交工作には関心がなく、軍事一本槍であった
・開戦後、6ヶ月で敗戦の道に入っていた
・特攻隊員の7割は学徒兵
・当時の日本にもウラン爆弾を作る理論はあったが工業力がなかった
・東條が失脚しても軍部はやりたい放題だった
・あのヒトラーでさえも体当たり攻撃を命じることはなかった
・神風特攻作成は290回におよんだ
・集団になればどんなこともやってのける日本人の不気味さ

-目次-
1章 英霊論と犬死に論を超えて
2章 なぜ彼らは死を受けいれたか
3章 もうひとつの『きけわだつみのこえ』
4章 体当たり攻撃への軌跡と責任
5章 見えざる陥穽、ナショナリズム