読書メモ
・「禅とはなにか」
(鎌田茂雄:著、\480、講談社学術文庫) : 2004.04.25
内容と感想:
著者は仏教学者である。まえがきに「禅という語感には、何か神秘的なひびきすら感じとるものもいる」とあるように、私の禅に対するイメージもこれに近い。山深い禅寺でひたすら坐禅をし、修行するイメージである。単に神秘性を求めることは危険だろう。なにも禅によって超能力が得られるわけではない。そんなものを求めて坐禅をするなら大間違いだ。しかし禅をファッションや生活に取り入れることは古くから試みられてきたし悪いことではないだろう。禅がその人の人生のスタイルにまで昇華できれば(単なる外見ではなく)、それは素晴らしいことだろう(自分でもよく分からないが)。
道元の「正法眼蔵」は未読。ハナから難攻不落の難”書”だと、攻める前から諦めている。だから私のはまず、外堀から埋めていく作戦。よい解説書があれば時間はかかるかもしれないが正面から力攻めするより効果的だろう。急がば回れ。ということで本書は実に分かり易い。著者は解脱者かどうか、悟りを開いた人かは知らないが(そういう人は自分で解脱した、と言うものだろうか?)、よほど理解が深くないと一般人にこれだけ分かり易く説明することは出来ないはずだ。良書である!著者も若い頃は「正法眼蔵」や西田幾多郎の著書などを読んでも、さっぱり分からなかったと、素直に告白しているので安心した(読んでみただけでも凄い)。
最近、この手の本を読むようになったのは悟りを得ようというよりも(読書で悟れるとも思わないが)、自分の生き方に自信がないからである。いい加減な性格だから深く悩めないのが悩みである。それが自己嫌悪となり、現実逃避に向かったりする。どこで歯車が狂ったのか?もともとうまく行っていたとはいえないが理想と現実はどんどん乖離していく。それなりになんとか生きてきたのだから、それなりの生きる力はあったとも言えるし、なんとなく生かされてきたとも言える。これまでの人生、この先の人生を悲観はしないし、希望も捨ててはいない。楽して生きようとは思わないが、楽に生きたいとは思う。よりよい人生でありたいし、トータルではよかったと思いながら死にたい。
そういう心の支えとなる教えが仏教の教えである。第四章の「その時、その時の生活を一生懸命やる。すると、かえって自由になっていく。そうして執われがなくなっていく」というのは勇気を与えてくれる。”無”とか”空”とか言うよりも分かり易い。これでいいんだと納得できる。自分が頑張ってやったことを無意味だと否定されるほどの苦痛はない。自分が価値を見出し、専心し打ち込めれば道は開けるだろうし、それが仏の道にも通じる。道を求め続ける心の持続の必要性を道元は説いている。人生は一瞬一瞬が修行である。しかし修行、修行と意識し過ぎるとストレスにもなりそうで、本来の目的からはずれていきそうだ。ときにはリラックスも必要。結局はよりよいセルフ・コントロールのあり方を仏教は教えてくれていると思う。
-目次-
第一章 禅との出会い
第二章 禅の思想
第三章 禅者の生き方
第四章 禅の生活
第五章 禅を現代にどう生かすか
附章 禅宗の成立
更新日: 04/04/25
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