読書メモ
・「宗教を知る 人間を知る」
(河合隼雄、加賀乙彦、山折哲雄、合庭惇:著、\1,500、講談社) :
2004.03.07
内容と感想:
宗教を知るということは、人間を知ることでもある。
本書は何か信仰を持ちなさい、とか宗教を強要するものでも、特定の宗教を宣伝するような書でもない。一章から四章までの各章を四人の執筆者がそれぞれ担当し、宗教についてのそれぞれの考えを述べている。五章は全員での討論になっている。四人は1920年代から1940年代にかけての生まれで、(失礼だが)そろそろお迎えがくる年代の方々である。そういう年代になるとどうしても自分の死と向かい合わねばならない時期となる。そうした時どうしても宗教あるいは宗教的な精神というものを避けては通れなくなるようである。また若くても「人間とは何か、日本人とは何か、自己とは何か」を問い詰めていくと宗教的な問題に行き着くようである。
”宗教”というとオウムのような事件もあり、特に新興宗教の類いは胡散臭いというイメージが焼きついている。また古い人たちは戦時中の国家神道の反発から無神論者になった人も多いようである。じゃあ、日本人は信心深い人や信仰を持たない人は多いのだろうか?篤信家という言葉があるが、そこまで行かなくても盆には里帰りして先祖の墓参りしたり、仏壇にお供え物をしたりしている。全然、宗教的なものと無縁の生活をしているわけではない。しかし、様々な形で日常に宗教的なものが(きちっと理解していないという意味で)無意識に存在している一方で、心の拠り所となる信仰があるか、と問われると私は答えられない。きっと拠り所になるようなものがあれば漠然とした不安から解消されるのかも知れないが、積極的に何か信仰をもつようなことは考えてもみなかった。自分がしっかりしていれば信仰などなくとも生きていけると、若さゆえの自信というか傲慢な意志が働いていることは確かだ。本書を手に取ったのは宗教そのものへの興味というよりは自身、心の問題への関心が深まる中でどうしても宗教的なものが関係してくるのを感じていたからだ。
-目次-
序章 「宗教は無関係」という人たちへ
第一章 人にとって宗教はなぜ必要か (河合隼雄)
第二章 宗教と出会い、そして得たもの (加賀乙彦)
第三章 日本人の中に生きる仏教 (山折哲雄)
第四章 宗教がわからないと現代とつきあえない (合庭惇)
第五章 宗教を考える手がかり
「宗教は個人単位の方向に向かっていくのではないか」という河合氏の意見は、宗教集団のあり方や異なる宗教間の争いを考えると、予言とも取れるし、人類の平和への希望も加わって、なるほどと思った。加賀氏はカトリック信者だが入信したのは60才前。入信の動機や死刑囚との付き合いなどは興味深いお話であった。
五章で山折氏が地球環境全体にかかわる問題について既存の宗教では処方箋は書けない、と言っている。使命や役割に限界が来ている、そういう予感を持っておられる。これは先の河合氏の意見にも通じるものがあるように思われる。日本古来の多神教的なもの、原始神道的なものが「世界化していく可能性がある」という意見は反論を呼びそうだ。これは原始宗教への回帰といえる。これも攻撃的な既存宗教の反動であろう。自然感覚、宇宙感覚のようなものに人類共通の普遍的な宗教意識の存在を認識しているのだと思う。しかしそれだけで本当に精神の安定をもたらしてくれるのだろうか?やはり何らかの指導書、指導者のような導き手が必要だと思われる。ただし、それがカリスマとか教祖とかに変貌していくのはいただけないだろう。家族で、地域で、草の根レベルで誰にも強要されず、伝えていくような、そういった形が理想だろう。
更新日: 04/03/07
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