読書メモ
・「河合隼雄のカウンセリング講座」
(河合隼雄:著、\1,400、創元社) : 2004.02.18
内容と感想:
著者は日本では臨床心理学者として長い経験もあり、著作も多い日本のカウンセリング界の第一人者である。
昭和43年から平成8年の間に、大阪・四天王寺の主催で著者が行ったカウンセリング講座の5回分の記録をまとめた本。特に第5章は昭和43年のシンポジウムの記録でかなり古いものであるが、内容的にはあまり古さを感じさせない。心の問題は時代背景こそあれ、普遍的なものがあるからだろう。冒頭に書かれているように、経験豊富な著者ですらカウンセリングは「いくら学んでもきりがない」と。学校や本で学んで、即修了とはいかない(どんな分野でも同じかもしれないが)。
-目次-
第1章 日本の学校教育とカウンセリング
第2章 カウンセラーの技法と態度
第3章 カウンセリングにおける「見立て」
第4章 コンプレックス
第5章 精神分析と宗教
第1章でカウンセリングによって一人の人間が変わる、ということを社会が変わるのと同じくらい凄いことだと言っている。人間はなかなか変われるものではない。特に自我が発達して、人格がある程度まで形成されてしまうと、なかなか変わろうとしても変われない。だからこそ子供の頃の教育は大切だと思う。最近はスクールカウンセラーという人がいて、生徒や学生の相談相手になっているという。学校の先生らが十分対応できていない証拠だろう。勉強だけを教えるのなら塾だけ行っていればよいが、そうじゃない場所が学校。少子化が進めば先生方自身にも”ゆとり”がでてきて勉強以外の指導もできるようになるだろう。そこでもカウンセリング技法を学ぶ必要が出てくるだろう。
第2章で面白かったのは、日本は飲み屋でストレス解消をするから西欧ほどカウンセラーが必要ではない、という話。一理あるが、お酒を飲める人や行きつけの店がある人はいいが、そうじゃない人や様々な事情を抱えれている人もいるだろうから、一概には言えないだろう。また、日本でも個性を伸ばす教育に力が入れられるようになっているらしいが(効果があったか、実際に何をやっているかは不明だが)、あまりに個性、個性というと”場”を壊すという問題があると心理学者は感じ始めているという。これも難しい問題だ。個性は伸ばしたいが社会では場を大切にする。特に日本は場を重視し過ぎて、個性を殺しすぎるから。
第3章、第4章ではカウンセラーとしての心構えや相談者との対し方などを説いている。
第5章の精神分析と宗教の関係についても興味深い。西欧では教会に行かないでカウンセラーに会いにいく人が増えているそうで、宗教家にはキリスト教は精神分析に取って代わられるという危機感があるという。言い換えると宗教が科学に取って代わられる、ということになる。これは従来は教会が果たしていた役割をカウンセラーがやるようになったと言える。宗教家が怠慢なためか、宗教よりも科学のほうに信頼性があると見なされているためかはよくは分からない。今後、日本の仏教界やその他宗教も冠婚葬祭のイベントの場だけを提供するだけのサービス業で行くのか、もっと本来の民衆を救済する役目まで踏み込んだ付加価値の高いサービスを提供していくのか、よく考える必要があるのではないだろうか?言い方は悪いが少なくとも私から見れば、今の坊さんは葬儀屋や墓守くらいにしか見えない。
更新日: 04/02/22
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