夜  に  見  る  夢                 







 
 乱太郎が利吉の所に来て、一月ほどが経った。あの日満月だった月が欠けて行き、そしてまた満ちて来る。



 とさ、と軽い音を立てて、乱太郎は利吉の背中にぶつかった。
「大丈夫かい」
「はい、大丈夫ですぅ」
 利吉に問われて、乱太郎はにっこりと答えた。ぶつかって少しずれた帽子を直す。元々は耳を保護する為の帽子なのだが、被って居ないとなんだか落ち着かないと言って、ずっと被った切りである。見るにつけ、奇妙だと思うのだが、見慣れてみると可愛らしい。
 耳と尻尾を失くした乱太郎は、バランスが取れないのか、上手く歩けずに良く転ぶ。もう、不意に飛ぼうとして縁側や上がり框から落ちる事は無くなったものの、やはり、利吉は心配で目が離せなかった。
「さ、そろそろ寝る時間だよ」
「はぁい」
 利吉に促されて、乱太郎は素直に頷いた。奥の間に延べられた布団に潜り込むと、利吉も同じように隣で横になった。そうして、眠るまで他愛の無いお喋りをしたり、絵草紙などを読んだりする。
 一緒に暮らしているうちに、乱太郎はますます可愛らしさを増していくような気がしてならない。抱締める体は柔らかく何か良い香りがして、利吉に額や頬に口付けを落とす以上の欲望を持たせるのには充分だった。けれど腕の中の小さな体に自分の欲望を押し付ける事は、とても出来ない。
「参ったな」
 一緒に暮らそうといったのは自分なのに、今は側に居ることが辛い。側に居れば触れたくて。触れてしまえば抱締めて。柔らかな口唇に口付けてしまえば、重ねた口唇を深く絡めてしまいそうで、頬や額に落とすのだけれど。
「うさぎはどんな夢を見るんだろうね」
 あどけない微笑を浮かべた寝顔に我知らず微笑んで、利吉はその額にそっと口付けた。それから一人、月を見ながら酒を酌む。



 二人が沢歩きから戻って来ると、客が来ていた。濡れ縁に腰を下ろして煙草をふかしている。その男が利吉の姿を見つけ、手を上げた。
「おう、じゃましとるぞ」
「ああ、お久し振りです」
 すい、と幾らか表情を引き締め、利吉は頷いた。知らない人間を見て、乱太郎は利吉の背中に隠れる。利吉はその仕種に微笑して、乱太郎の肩に手を置いた。
「大丈夫だよ、あの人は知り合いでね。大木先生と言うんだよ。ちょっと怖そうに見えるけど、それ程酷い事は無いんだ」
 利吉の言葉に大木が苦笑する。確かに、髪は赤く焼けてバサバサだし、髭剃りが苦手なので傷や無精ひげはあるし、日頃から農業と忍び事で鍛え上げた体はごついくらいに逞しい。それだけでも十分怖く見えるのに、大きな声と、がさつな動作がそれに輪をかけて居ることも、知っている。
「おい、随分な言われようだな。所でそれは何だ?この間来た時には居なかったが…」
「相変わらず目は良いようですね」
「目だけではないぞ!全く口の減らない…」
 ぶつぶつと言いながら大木は濡れ縁から降りてきて、利吉の後ろをひょいと覗き込んだ。ふわふわとした赤い髪、鳶色の大きな睛の子供が其処に居た。着物から伸びた手足も、体つきも華奢で、頼りない。そして、奇妙な帽子を被っている。しみじみと利吉と乱太郎を見比べて、それから耳元でぼそりと言った。
「ぬしの隠し子か」
 大木の戯言に利吉は顔を顰めた。
「失礼なことを言わないで下さい」
「別に無理な話ではあるまい?」
 にっと笑って言う大木に、利吉は軽く肩を竦めた。
「私に無理が無いなら、大木先生の家は今頃子供で溢れているでしょうに」
「わははっ、わしはモテるからの。ま、子供は学園だけで充分じゃが」
 大木は満更でもなさそうにニヤニヤと笑って、もっともらしく頷いた。
「所で何か御用ですか?今日いらっしゃるとは伺って無いのですが」
「相変わらずつれない奴だの。用が無ければ来てはいかんのか?」
「いえ、そう言う訳では…」
 大木のむっとした顔に、利吉は少し困った様に笑う。別に来られて困る訳は無いのだが。それを見て大木が豪快に笑い、利吉の背中をばしばしと叩いた。
「冗談じゃよ。いい酒が手に入ったのでな。ついでに畑のものも持ってきてやったんだ」
 ほれ、と大木の示した所には大きな背負籠があり、葱やら青菜やらがはみ出している。
「有り難うございます」
「まぁ、こんな所で立ち話もなんだ。上がって話そう」
 軽く頭を下げた利吉に、どっちが家主なのか分からない様な事を言って、大木はまた大声で笑った。



 少し早かったが、大木が来たので夕餉の支度をすることにした。
「お、出来るまで子供は外で遊んでおれ」
 気を遣った積りで大木が言ったのだが、利吉は乱太郎を引き寄せた。
「いいよ、此処に居て手伝ってくれないか」
 利吉の言葉に頷いて、乱太郎はにっこりと笑った。
「なんじゃ、遊ばんのか?」
 いそいそと利吉の側に座った乱太郎を、大木は不思議そうに見た。子供というものは遊ぶのが仕事で、家の手伝いは嫌々するのが相場なのだ。利吉は、優しい笑みを浮かべて乱太郎の肩を撫でた。
「足下が良くないんですよ。だから、まだ一人では外に出せないんです」
「足弱か。訓練はしとるのか?」
「毎日、山に入って沢遊びをしていますよ」
「ふむ。妥当じゃな。足場の悪い所で遊んどるなら、足下も良くなるだろうからな」
 利吉の言葉に、大木は尤もだと頷いた。
「じゃ、わし、米磨いで来るわ」
 そう言って、米櫃からざくざくと米を掬って鍋に入れると外へと出て行った。それを見送って、乱太郎が心配そうに聞いた。
「あの、お米量らなくて大丈夫なんですか」
「ああ、手で量っているからね」
「手で?そんなことが出来るんですか?」
「ああ、出来るよ」
「利吉さんも?」
「もちろん。乱太郎にも出来るようになるよ。後で教えてあげよう」
 そう答えてから、利吉は何時の間にか乱太郎に忍び事の手解きを始めている自分に苦笑した。一体、乱太郎にそんな事を教えてどうしようと言うのだろうか。
「さぁ、こっちも始めようか」
 利吉の言葉に乱太郎は頷き、菜っ葉の入った笊に手を伸ばした。



 初めは大木を怖がってあまり喋らなかった乱太郎も、大騒ぎで夕餉の支度をしている間に打ち解けた様だった。もと教師だけ有って、大木は子供の扱いが上手かったのだ。
 何時にない豪華な夕餉の仕度が調えられた。沢で取ってきた沢蟹の揚げた物、山女の塩焼き、菜花の卵とじ、細めの葱と若布の酢味噌和え、里芋の田楽、一口大に握った菜飯、焼き葱の味噌汁。囲炉裏端に並んだそれらの料理に、乱太郎は目を丸くしている。
「なんじゃ、珍しいのか」
「はい」
「何時も二人ですからね。こんなに作らないんですよ」
 面白そうに聞く大木に乱太郎はこっくりと頷き、利吉は苦笑する。実際、今日だって山女の塩焼きと、青菜と里芋の雑炊の予定だったのだから。乱太郎の様子に気を良くしたのか、大木はぽんぽんと乱太郎の肩を叩いた。手加減はしたのだろうが、乱太郎は少し顔を顰めて叩かれた場所をさすっている。
「さ、冷めないうちにどんどん食え」
 そう言って、早速料理に箸を伸ばすと、乱太郎も釣られて箸を伸ばし、食べ始める。本当に、どっちがこの家の主人だか分からないような大木の言葉に苦笑して、利吉は酒を湯飲みに注いで差し出した。傍若無人なこの人物が、利吉は何故か嫌いではなかった。
 大木の持って来た酒は辛口だが、すっきりと飲みやすく美味かった。先に食事を終えた乱太郎は、利吉に凭れ掛かって二人の話を聞きながら、時々あくびをしている。
「お主はだんだん父御に似てくるのぉ」
「そうですか?」
 利吉は小さく笑って酒を含む。父と自分の顔の相似は、ある程度は自覚しているがそれ以上ではない。
「おお、そっくりじゃ。しかも母君の良い所も確り受け継いでおるから、父御以上に男前じゃ」
 大木はニヤニヤと笑いながら頷き、ごくりと酒を飲む。それから、揚げた沢蟹をひょいと口に放り込んだ。食べ方も飲み方も豪快で、だが、不快ではない。
「そう言えば、お主の父御と母上の馴れ初めはもう話したかのぅ?」
 と、身を乗り出して聞いてくる。利吉は苦笑して、大木の湯飲みに酒を注いだ。
「もう、何度も聞きましたよ。でも、話したいならどうぞ」
「むぅ、そういう言い方をされると興醒めじゃの」
 ふん、と息を吐いてまた、酒を飲む。そして、また思い付いた様に言った。
「そういえば、紅梅楼の女将に聞かれたぞ?最近顔を見せないがどうかしたのかってな。菊野も会いたがっておった」
 その言葉に苦笑する。紅梅楼は仕事絡みで一時期良く通った娼楼だ。そのときに知り合った菊野と言うのが三味線が巧く、利吉は時々それを聞きに行っていたのだ。確かにそういう事も無いではなかったが、決して大木が言うような物でもなかった。
 だが、その揶揄する口調に何かを感じたのか、それまで黙っていた乱太郎が大木に聞いた。
「利吉さん、其処に行くんですか?」
 その言葉は酷く真摯に聞こえ、大木は珍しく言葉に詰まった。どう言ったものかという顔で酒を飲み、それから苦笑した。
「まぁ、時々はな。利吉も若い男だしの。まだ小さいお前さんにゃ分からんだろうが、それも必要な事なんじゃ。だから、利吉が家を空けたってそう心配する事は無いぞ」
「本当?」
 不安そうに自分を見上げる乱太郎が泣きそうな気がして、利吉は頭を振った。
「行かないよ」
 利吉の言葉に、大木はじっと彼を見た。利吉は不安そうな乱太郎の髪を優しく撫でている。
「本当に?」
「ああ。だから、もうお休み」
「はい」
 利吉の言葉に、乱太郎は小さく頷いた。
「ちょっと失礼します」
 そう言って、乱太郎を抱き上げて、利吉は奥の部屋へと行き、床を延べた。乱太郎を寝かせて離れようとすると、着物の袖を引っ張られる。
「どうしたんだい?」
「その人、利吉さんを待ってるの?」
 泣きそうな目で聞いてくる乱太郎が可愛くて。利吉はその額にそっと口付けを落とした。
「待ってないよ」
「でも、大木先生が…」
「あの人はね、ああやって私を揶揄うのが好きなのだよ。それに、乱太郎が居るから、もう行かない。だから安心してお休み」
「はい…」
 もう一度口付けを落とすと、乱太郎は目を閉じた。それを確かめて、利吉は部屋を出、戸を閉めた。



 利吉が出て行くと、乱太郎は酷く悲しい気分になった。見た目は確かに幼いけれど、それでも人間のこの年頃の子供よりは長く生きているから少しは大人のことも分かるのだ。大木の言った所にはきっと自分の知らない人が居る。その人は利吉が来るのを待っているのだ。大木ははっきりとは言わなかったが、きっと縁組のことを言っているのだろう。
 それが、とても嫌だった。ただ、利吉と一緒に居て、嬉しくて楽しくて、それだけだったのに。利吉が縁組をする事なんて考えた事も無かったのに。けれど、大木の口からそのことを聞いて、利吉が縁組をしても可笑しくは無い年なのだと気付かされたのだ。それでも、利吉が誰かと縁組をするのは嫌だった。自分以外の誰かが利吉と一緒に居るなんて嫌だった。自分が幼いから、利吉は他の人と縁組をするのだろうか。自分がもっと大きければ、利吉は自分と縁組をしてくれるだろうか。
 けれど、人間になってしまった自分には何の力も無くて。乱太郎は布団を被って、声を殺して泣いた。



 部屋に戻った利吉は、新しい徳利を持っていた。大木の土産の酒は残りも僅かだったのだ。それを自分の湯飲みに注ぎ、大木の湯飲みには、新しい徳利の酒を注いだ。そうして黙って酒を飲む。大木も何も言わない。
 二人はただ、ざらざらと酒を飲んだ。
 暫くして、利吉が大木に少し困ったような顔で言った。
「子供の前でああいう話は止めて頂けませんか」
「子供だと、お主は本気で思っとるのか?」
 その言葉を聞いて、大木は低い声で言った。その声からも様子からも、酔いは消えている。その頃には新たに開けた酒も粗方なくなっていて、もう、一升以上飲んでいる筈だったのだが、酔った風も無く大木は真面目な顔で言った。
「最近、町にも下りて来んで、此処に籠もりっきりだそうじゃないか。どうかしたのか?」
「どうもしませんが?」
「仕事もしていないそうじゃな。笹屋の主が零しておったぞ?」
「顔は出していますよ」
「そりゃ、酒を買いに行くんじゃから顔はだすじゃろう」
 笹屋は表向きは酒屋なのだが、裏では忍び事の口入屋をしている。笹屋からの依頼の仕事もよくするのだが、自身の所在を明かしたくない利吉はこの笹屋をつなぎに使って居たのだ。肩を竦めて大木は酒を干し、湯飲みを差し出した。利吉は逆らわず、並々と酒を注ぐ。
「お主の事じゃから仕事に飽いたのではないかと、父御が心配しておったわ。まぁ、わしが見る限り、お主には忍び事以外は出来んよ。お主は派手好きだからの。小さな仕事に飽いているのではないか?それとも、父御の様な戦忍びになる積りか?」
 自分を見る大木の睛に咎める色は無い。ただ、仕様の無い奴だ、という笑いが僅かに見えるだけだ。
「それも一興じゃな。父御は腕の良い戦忍びじゃったからの。お主の腕の程は知らんが父御が自慢する位だから、それなりなのじゃろうて。まぁ、結局はお主の事だからの好きにすると良い。じゃが、あまり父御に心配を掛けるな」
 そう締め括った大木に、利吉は微笑した。大木は、父や笹屋の主に頼まれて自分の様子を見に来たのだ。と、言う事は、この酒は笹屋が持たせた物なのだろう。
「それで此処までいらしたのですか」
「まぁ、それもあるが、稀には誰かと酒を飲むのも良かろうと思ってな」
 湯飲みの酒をぐいと干して、若い癖にこんな山奥で隠居みたいに暮らしおって、と溜め息を吐いた。
 大木がまだ学園で教師をしていた頃、利吉の担任をしたことが有った。その頃から、利吉には何処か投げ遣りなところが有るように思えた。実技の成績も、教科の成績も良く、先生方の評価もよい優等生で、同級生から嫌われるという事も無かった。父親と軋轢があった訳でも無く、何かを拗ねている様でも無い。それなのに大木には、利吉が何もかもがどうでも良いと思って居るように思えて仕方が無かった。結局、その読みは当たって、学園を卒業した利吉はフリーの忍者になり、寮を出た後は、誰にも居場所を知らせなかった。見つけてみれば、自分が生きていることを確かめて居るかの様に危険な仕事ばかりをし、他人と関わるのを面倒臭がって、こんな山奥に住んでいる。
 だが、今の様子を見ると、そればかりでは無くなりそうだった。今日、利吉を見たときに感じた、不思議に穏やかだった雰囲気は、きっとあの子供のおかげなのだ。
「もう、手は付けたのか?」
 不意の大木の言葉に、利吉は眉を顰めた。
「何のことです」
「とぼけるなよ?あの子供、乱太郎と言ったか。アレだアレ」
 大木はにやにやと笑って、利吉の湯飲みにどぼどぼと酒を注いだ。湯飲みを軽く上げてそれを止め、嫌な顔をして酒を含む。
「可愛い子ではないか。お主にも良く懐いてる」
「まだ早いですよ」
 少なくとも、まだ何も知らない乱太郎に無理強いをして、あの笑顔を壊したくは無かった。
「早くは無かろう。教えるのには丁度よい年頃ではないか。先刻、わしを見た時の目は、もう一人前に嫉妬を焼いておったぞ。大事にする気持ちも分かるが、待たせても泣かす事がある。何事も時期を見る事が肝要じゃ」
 大木の言うのは稚児店にいる子供の話である。それなら確かにそうなのだが、乱太郎は、稚児店の子供とは違うのだ。大木は乱太郎のことを何か誤解しているらしい。かと言って本当の事を言う訳にもいかず、利吉は苦く思いながらも、誤解をそのままにしておくしかなかった。
 乱太郎の、先刻の泣きそうな睛を思い出して利吉の胸が痛くなる。
「お主とて、そろそろ辛いのではないか?直ぐにでも喰っちまいたそうな睛で乱太郎を見て居ったではないか」
「止めてください!」
 笑いを含んだ大木の言葉に、利吉は赤くなった。確かに、自分を押さえていなければ乱太郎の側に居られないのだ。急に酒が回って来た気がする。その利吉を見て、大木は大声で笑った。
「わははははっ、お主のそういう顔、初めて見たわ。まぁ、良い事じゃよ、人を好きになるって事は。ま、父御には、良いのが出来たので掛かり切りになっとったと伝えておいてやるから、せいぜい頑張れよ」
 そう言って湯飲みに残っていた酒を飲み干すと、立ち上がった。
「さて、酒も飲んだし、そろそろ行くか」
「お帰りになるんですか」
 遅くなったのでてっきり泊まるのだと思っていたのだ。そう聞いた利吉に、大木はニッと笑った。
「こう見えてもわしも多忙での。これから仕事じゃ。まぁ、お主の様子も見たし、時間もよい頃合いになったし、丁度よかったがの」
「其処まで送りますよ」
 そう言って立ち上がり、二人は庭に出た。何時の間にか大木は柿色の忍び装束になっていて、腰に刀を帯びていた。何時もの赤い鉢巻をきゅっと結んで、大木は利吉に言った。
「今度は二人でわしん所に遊びに来い。土産の酒を持ってな」
「ええ、そのうちに」
 利吉の言葉が終わる前に大木の姿は消えていた。利吉は苦笑して、大木が去ったのであろう方を見たが、其処には闇が有るばかりだった。



 簡単に皿などを片付け、利吉は裏手の井戸に行った。ざばりと冷めたい水を浴びて、利吉は溜め息を吐く。大木に妙な事を言われた所為で、体が熱い。水でも浴びれば、身の内に灯った熱が冷めるかと思ったのだが、水の冷たさを感じる度に、体の熱を尚更自覚してしまう。結局、酒気が落ちただけだった。
「乱太郎…」
 そう呟いた声にすら、甘いものが有って。利吉はもう一杯、水を浴びた。



 何時の間にか眠ってしまったらしい。闇の中で一人睛を覚ました乱太郎は、なんとなく違和感を感じた。何故だろう、と思って辺りを見回して、それまで有った気配が無くなっていることに気付いた。驚いて起き上がり、戸を開ける。板の間の方に行くと、燭台の明かりも消されて薄暗く、囲炉裏の火だけがちらちらと消えそうに燃えている。囲炉裏端はきれいに片付けられていて、誰も居なかった。
「利吉さん…?」
 小さく呼んでみても応えは無い。乱太郎は不安になった。もしかしたら、利吉は大木と一緒に、何とかという場所に縁組をしに行ってしまったのかも知れない。止まった筈の涙がまた溢れてきて、乱太郎は啜り泣いた。大きくなりたいと、利吉と縁組が出来るほどに大人に成りたいと、痛いほどに思いながら。
 明り取りの窓からは望月の酷く明るい月の光が零れていた。



 水気を拭って家の中に戻ると、啜り泣きが聞こえた。
「乱太郎…?」
 利吉は声のする方へと急いだ。囲炉裏の火も落ち、月明かりだけの青い闇の中に蹲って、乱太郎は泣いていた。月明かりに濡れた体は、微かに光を放っているように見える。
「乱太郎…」
 声を掛けるとびくりと体を震わせ、そして、ゆっくりと顔を上げた。その、涙に濡れた顔が酷く綺麗で、利吉は一瞬息を呑んだ。
「利吉さん…」
 そう呼んだ声は何時も以上に甘くて。そうして、利吉は、乱太郎の変化に気付いたのだ。短かった髪は背に掛かるほどに伸びている。ほっそりとした身体つきはそのままに、しなやかに伸びた手足。涙に濡れた大きな睛はそのままに、僅かに大人びた顔。ふっくらとした口唇は紅を差したように赤く、誘うように息づいている。其処に居るのは小さな乱太郎ではなかった。十二・三歳位に成長した乱太郎だった。そうして、赤い髪の中に埋もれるように長く伸びた、真っ白な耳。何時も被っていた帽子は、床に落ちていた。
「乱太郎…?」
 本当に、という言葉を飲み込んで、側に行き膝を付いた。と、するりと乱太郎の腕が利吉の首に回され、しがみ付いて来た。その体からは何時も以上に甘い香りが燻っている。利吉は思わずその体を抱き締めた。
「利吉さん、何処にも行かないで」
「此処に居るよ。乱太郎の側に居る」
 泣き声で言われて、優しく囁く。けれど、乱太郎は嫌々をしてますますきつくしがみ付いて来る。
「他の人と縁組なんてしないで。私、大きくなるから…、縁組できる位大きくなるから、他の人の所に行かないで」
 ああ、と、利吉は乱太郎を抱く腕に力を込めた。だから、乱太郎は大きくなったのだ。利吉と縁組がしたくて、失くした筈の精霊の力を取り戻してしまう程に、利吉を恋うてくれているのだ。
「私、まだ小さい?だったらもっと大きくなるから…、だから…」
 泣きそうな声で乱太郎が言う。利吉は柔らかく笑んだ。優しく髪を梳く。
「もう、充分大きいよ」
「本当に…?」
 不安げに揺れる、濡れた眸を覗き込み、頷く。
「縁組できる?」
「出来るよ」
「本当?」
「ああ、もちろん」
 そう囁いて口付ける。もう、躊躇う必要は無いのだ。乱太郎は頃合いに成長し、そして、利吉を欲しがっている。柔らかな口唇を吸って、たっぷりと舌を絡める。触れた口唇も絡めた舌も甘く、利吉は貪るようにそれを味わった。
「はっ…、あぁ…」
 甘い息が洩れる。首に回された乱太郎の腕が、利吉の背を、髪を、夢中でまさぐる。抱き締められた体が熱くて、何かに掴まって居たかった。
「とても可愛いよ」
 利吉が耳元で甘く囁いて髪を撫でる。その時、指が長いうさぎの耳に指が触れた。と、乱太郎の体がびくりと震え、小さな溜め息が洩れた。
「耳、気持ちいいの?」
 囁かれて小さく頷く。利吉の指が触れる度に、其処からざわざわとした何かが走るのだ。
「あっ、んんっ」
 柔らかく耳が噛まれ、しゃぶられる。その間にも利吉の指は乱太郎の肌を探って行く。水を浴びていた利吉の指は冷たく、熱くなった乱太郎の肌を刺激して行った。
「い、や…、」
 触れられて、乱太郎が体を逃がそうとする。それを抱き取って利吉が意地悪く囁く。
「どうして?」
「だって…、なんか変…」
 体が熱くて、利吉に触れられる度にぞくぞくして、どうしていいか分からなくなる。そのくせ、利吉と離れたくないのだ。
「良いんだよ。変なのも、恥ずかしいのも、全部見せて」
「あっ…」
 利吉の指がわき腹を辿り、優しく下腹に触れる。利吉に触れられて、一番熱くて、ずきずきする所。其処から走った感覚に、乱太郎は思わず体を竦めた。
「可愛いね、もうこんなにしてる」
 幼さを残している其処は、固く昂っている。くちゅ、と濡れた音を立てて利吉の指がそれを刺激する。その瞬間、思考が飲み込まれてしまいそうになった。
「ああっ」
 それ以上の悲鳴は、口付けに塞がれた。息と一緒に溢れた唾液が流れ込む。甘いそれを飲み込みながら、乱太郎は夢中で利吉にしがみ付いた。
「好きなの、利吉さんが好きなの…」
「うん。ずっと待っていたよ、乱太郎がそう言ってくれるのを」
 抱擁は月の海。互いをつなぎ止める腕は船の碇。凪いだ月夜の海のような愛情に包まれていながら、欲情は嵐さながらで。
「好き…」
「もう、黙って」
 口付けは言葉より遥かに多くを語ってくれた。



 



                         TXIT: 利太郎 様
其の2へ≫

利太郎様より待望のうさみみちゃん、続編ですv

大木先生粋ですねーv
では其の2へ。速やかに。