春、おぼろ
   其の六     >>>其の七




 カン、と遠くで鐘の音が聞こえた。学園の鐘だ。乱太郎が身動ぎをする。辺りは疾うに暗く、薄闇ですらない。あれから何度となく攻め立てられ、気を失っていたらしい。
「気が付いた?」
 背後から掛かった声に、乱太郎はゆっくりと頷いた。利吉が水筒を口にあてがってくれたので、水を飲む。口の中が苦く粘ついていて、咽喉がひりついていた。身体はきれいに清められていて、不快感は無かった。水は甘く咽喉を滑り落ちて行き、飲み終えた乱太郎はほぅっと息を吐いた。
「もう、戻らなくちゃ」
 小さな声に、利吉の表情が僅かに曇る。唐突に、利吉の胸に強烈な独占欲が湧き上がる。自分と居る事よりも、学園に帰ろうとする乱太郎に、苛立ちを覚えた。押さえきれずに、着物を探して伸ばされた小さな手を掴んでいた。
「ダメだよ、まだ返さない」
「あっ…」
 背中からきつく抱き締められて小さな声を上げる。深く口付けながら利吉の指が双丘を辿り、優しく蕾を探る。其処は先刻までの情交の所為で充血し、熱を持っている。
「もう一度、ね」
「いやっ、利吉さん、もう…」
 それでなくても愛戯に疲れた身体は、痛みを訴えていたし、これ以上の愛撫に応えられる余裕も無かった。利吉の指が、馴染みのあるぬめりを帯びて、其処に触れる。その事が、利吉の言葉が戯れでない事を教えていた。
「少しだけだから、良い子にして」
「やっ、んんっ!」
 乱太郎の意思に反して、其処は少し擽られただけで利吉の指を受け入れてしまった。熱いと感じる利吉の指よりも、体の中の腫れぼったい熱さを感じて、乱太郎は嫌々をした。
「もう、許して…。壊れちゃう…」
「どうして?此処は嫌だなんて言ってないよ」
 利吉の指が動くと、濡れた音が聞こえてくる。それが、情交の名残ではない事は乱太郎自身が知っていた。擦れるような僅かな痛みよりも、引き起こされる快楽に体が応えて、その存在を味わうように利吉の指を締め付けてしまう。
「ほら、こんなに締め付けて。こっちだって固くなってるじゃないか」
 利吉の指が、乱太郎の昂りに触れて言う。蜜を零すほどではないが、乱太郎のそれは固く頭を持ち上げていた。
「だって、もう出ないっ」
 逃げようとする身体を押さえられ、乱太郎は悲鳴じみた声を上げる。
「大丈夫。ちゃんと出るよ」
 僅かに押さえた声が宥めるように言い、蕾がたっぷりと濡らされた。足に伝うほどに濡らされた其処は、行為によってほぐされていた為にもう拒む事が出来なかった。指が抜かれると、慣らす事もせずに利吉の昂りがゆっくりと入ってくる。
「ひっ、あっ、あぁ…」
 押し広げられた其処は、濡らされていた所為で利吉の欲望を楽に飲み込んでしまう。体の中に入ってきたそれを、無意識のうちに喰い締めていた。ゆるゆると腰を使われて、其処から快楽が広がってゆく。
「ああっ、やぁっ」
 乱太郎の口から甘い声が洩れた。出て行こうとすると引き止めるように締め付け、再び入り込もうとするとヒクついて奥へと誘い込む。焦らすように先端を埋めただけで、乱太郎の昂りを弄ると、ねだるように腰を揺すって来る。
「まだ、嫌?止めて欲しい?」
 囁いてぐっと深く押し込む。奥深くを擦られて快楽しか見えなくなってしまう。もっとその感覚が欲しくて堪らない。
「やっ…」
「嫌なんだね?じゃあ、止めるよ」
 引き抜こうとすると、逃がすまいときつく締め付けてくる。
「いやっ、止めないで」
「嫌なんじゃなかったのかい」
 背中を抱き締めて言うと、乱太郎は嫌々をして腰を押し付けてくる。
「もう、嫌だなんて言わないね?」
 利吉の甘い声に、幾度も小さく頷いて。利吉は満足そうに涙の滲んだ眦に口付けると、ゆっくりと乱太郎を責め始めた。



 頭の芯がぼうっとして、何をするのも億劫だった。利吉が身体をきれいにしてくれ、着物を着せてくれるのにただ、任せていた。
「ごめん。こんなに酷くする積りは無かったんだよ」
 すまなそうに言う利吉に、乱太郎は弱々しい笑みを浮かべて頭を振った。利吉が自分を求めてくれる事が嬉しかったから。
「ううん、良いです…」
「好きだよ」
 小さな声で答えた乱太郎を膝の上に抱き上げ、優しく抱き締めた。一時でも離したくは無いのに、それが叶わない。仕事で忙しい自分を責める事をしない乱太郎に、時折不安になるのだ。自分だけが好きなのではないだろうか、乱太郎は仕方なく、自分に付き合ってくれているのではないか、と。
「私も、利吉さんが好き…」
 身体を預けて、乱太郎がうっとりと言う。本当は、手加減なしに快楽を強いられるのは辛かった。けれど、利吉だから許してしまう。普段は冷静な利吉が、自制出来ない程に自分を欲しているのだと思うと、それだけで全てがどうでも良くなってしまうのだ。本当は、このままずっと離さないで居て欲しかった。何処にも行かないでと、仕事よりも私を選んでと、言いたかった。だが、忍び事が好きな利吉に、それを止めさせたくは無かったし、いずれは自分もそうなりたいと言う目標でもあるのだから。今の自分に出来るのは、笑って利吉を送ること。そして、待つことだけだ。
 けれど、自分を抱いている利吉の腕が何時もより優しい気がして、乱太郎は急に不安になる。
「乱太郎、話したいことが有るんだ。その、ずっと考えて居たんだ…」
 真摯な眸で見詰められて、乱太郎は胸が痛くなった。言い難そうに口ごもる利吉に、やっぱりそうなのかな、と、寂しく思う。此処の所、ずっと利吉が上の空だったのは知っていたから覚悟はしていたけれど。
「本当はもっと早く言う積もりだったんだけど、なかなか言い出せなくて」
 確かに、話し易い事では無いだろう。けれど、優しい言葉を囁いて散々抱いた後に、今までの言葉はすべて嘘だったのだと言うのだろうか。そんな悲しい事は聞きたくなかった。
「…嫌です。聞きたくないです…」
 小さな、泣きそうな声で乱太郎は言った。切なくて、涙が零れて止まらない。
「乱太郎…?」
 突然、静かに泣き出した乱太郎に、利吉は慌てた。
「どうしたの?何処か痛いの?苦しい?」
 利吉の事が好きで、胸が痛くて苦しい。心配そうに触れてくる利吉の手を取り、胸に押し当てる。さよならを言おうとしているのに、その手はとても優しくて。
「此処が苦しいの?」
 そう聞いた利吉に頷いて、乱太郎は堪らずに言った。
「さよならなんて言わないでっ」
「乱太郎?」
 言葉の意味が分からずに、思わず聞き返す。乱太郎は利吉の手を確りと胸に抱いて、泣きながら言葉を続けた。
「他の人の処に行っても良いからっ、私だけなんて我侭言わないから、さよならなんて言わないで…!」
 ぽろぽろと涙を零しながら言う乱太郎に、利吉はますます慌てた。
「他の人?それにさよならって、何の事だ?」
「だって…、お話って、他に好きな人が出来たって言う話でしょう?」
「好きな人?乱太郎の他に?」
 乱太郎の言葉に驚いて、利吉はただ、言われるままを聞き返していた。
「この所ずっと上の空だったし、きれいな櫛とか見てたし、…やっぱり女の人の方が良いのかなぁって。私、私…」
 其処まで聞いてやっと話が見えた。とんでもない誤解である。慌てた半面、自分の手を抱いて泣いている乱太郎が愛しくて、胸が苦しくなった。
「私が好きなのは乱太郎だけだよ。こんなに好きなのに、どうして他の人なんかに興味を持てる?」
「利吉さん…」
 見上げた利吉の睛はとても優しくて。
「櫛はね、ほら」
 そう言って利吉は懐から小さな包みを取り出した。そして、乱太郎の手に握らせる。
「開けてくれるかな」
 言われるままに包みを開けると、一枚の小振りな櫛があった。桜の花の透かし彫りの有る、淡い色の櫛。この間の華やかなものと違い、すっきりとしていて可愛らしい。
「これは…」
「これなら乱太郎に似合うと思ったんだけど、好きじゃなかったかな。まだ挿せる程長くは無いけど、髪は伸びるからね」
「でも…」
「乱太郎の赤い髪、私は好きだよ。この櫛も、使っている内に良い色になってしまうだろうけど、今はまだ白いからよく映えるよ」
 黄楊の櫛は使い込んで行く内に油で磨かれてきれいな飴色になっていく。利吉はわざわざ余り磨かれていないものを探してくれたのだ。
「象牙が良かったんだけど、良いのが無くてね」
「そんな高いもの…」
「乱太郎が気に入ってくれるなら、ちっとも高くは無いんだよ」
「私、これが好き…」
 利吉の言葉に、乱太郎は櫛を抱き締めた。象牙の櫛なんて要らない。利吉が、自分の為に選んでくれたと言うだけで、それは乱太郎の宝物に成る。
「乱太郎、結婚しよう」
「えっ…?」
 突然の言葉に、乱太郎は呆然と利吉を見上げた。
「ずっと言おうと思ってたんだよ。その、花嫁行列を見た時からね」
 少し困った様な、恥かしそうな表情をして、利吉は微笑った。あの時の自分の言葉を覚えて居てくれたのだと、乱太郎は胸が熱くなった。同時に、利吉の様子がおかしかった理由も解かったのだ。
「乱太郎はまだ学園の生徒だし、私は忙しくて余り一緒には居られないけれど、それでも一緒に居たいんだ」
「利吉さん…」
「…嫌かい?」
 また、涙を零した乱太郎に、利吉は不安そうに聞く。自分は何時だって、乱太郎に心配を掛ける事しか出来ないから、諾と言ってくれるかどうかは分からない。けれど、乱太郎以上の伴侶は、決っと見付らないだろう。
「ううん。嫌じゃないです」
 乱太郎が利吉の首に腕を回してしがみ付いてくる。乱太郎の言葉に、利吉の表情がぱっと明るくなる。
「本当に?」
「うん。私、嬉しい…」
「私もだ。好きだよ、乱太郎…」
 小さな身体を確りと抱き締めて、利吉が囁く。そうして、小さな口付けを幾つも交わした。

>>>其の七
                              TEXT:利太郎様   
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