読書メモ
・「梟の城」
(司馬遼太郎:著、 \705、新潮文庫) : 2003.02.14
内容と感想:
直木賞受賞で一躍、著者の名を世間に知らしめた忍者を主人公とした、著者初期の時代小説。
1999年に映画化(監督:篠田正浩)されたことは知っていたが、まだ見ていない。
信長が天正10年に本能寺で死ぬ前年、信長は配下の軍勢に伊賀攻めを命じる。伊賀国は長く国守がおらず、地元郷士たちの同盟により他国からの支配から逃れてきた。伊賀の郷士は古くから忍術を学び、子や下人に伝え、密かにその術を発達させていった。有名な伊賀忍者である。その伊賀では信長勢により大殺戮が行われ、多くの忍者が戦いで死に、ある者は国外に身を隠した。
葛籠重蔵も信長への復讐を誓った逃亡組の一人であったが、信長亡き後、その復讐の対象は信長の後継者・秀吉であった。重蔵には復讐心もあったが、堺の商人・今井宗久の後押しもあった。宗久は信長存命中は彼に接近し、富を膨張させたが、秀吉の世になると彼の利権は家臣の小西行長に移り、不満を持っていた。挽回を図って、家康に接近し、秀吉を無きものとした後、利権を回復しようとする。忍術の師匠・下柘植次郎左衛門の弟子として共に学んだ風間五平が初め、次郎左衛門の命で秀吉暗殺に向かったが、そのまま音信不通となっていた。重蔵が伊賀を下忍の黒阿弥と去った後、世捨て人のように暮らしていた天正19年、彼のもとに次郎左衛門が現れ、五平に命じたことを今度は重蔵に命じる。更には五平を見つけ次第、伊賀忍者を抜けたことを理由にこれを討てと命じる。五平は京都に出た後、武士として身を立てたいと所司代・前田玄以に仕官し、忍びの術を生かして治安維持に当たっていた。重蔵が秀吉暗殺の刺客として京に現れたことを知ると、彼を利用し、世間を騒がし、重蔵を捕獲することで手柄を立て、出世を図ろうと企む。
二人の相弟子同士の戦いには、くの一(女忍者)が二人(五平の許嫁で次郎左衛門の娘・木さる、今井宗久の養女で実は六角承禎の遺児・小萩)、甲賀忍者の首領・摩利洞玄ら一党も絡んできて、重蔵を苦しめる。木さるは伊賀を裏切った五平を殺すつもりで京に来たが、逆に五平に手玉に取られてしまい重蔵の敵にもなる。小萩は宗久の養女であるから味方かと思えば、実は甲賀忍術を学んでおり信用できない。しかし彼女とは肉体の繋がりをもってしまう。実は小萩は承禎死後、石田三成が一時引き取り、後に宗久に預けられた。宗久の謀略は三成にとっては主人の危機であるから、小萩は宗久の身内ながらも、彼の謀略を探る諜者の役目を担っていた。即ち、重蔵も小萩の敵ということになる。重蔵を知ってしまった小萩は忍びを捨て、恋に生きようかどうか迷う。忍者どうし、敵同士の奇妙な恋の結末は如何に、そして秀吉の命は如何に。
意外だったのは結末で、重蔵を捕らえるはずの五平が盗賊として捕らえられ、偽名・石川五右衛門と名乗ったことで、五右衛門として処刑され、これが後々まで語り継がれることとなったとした点である。五右衛門の素性が明らかではないため、諸説あるらしいが、司馬氏のはこれはこれで面白い説だと感じた。
本書の初めのほうに伊賀者の習性を説明する以下のような文がある。
「おのれの習熟した職能に生きることを、人生とすべての道徳の支軸においていた。おのれの職能にのみ生きることが忠義などとはくらべものにならぬほどいかに凛烈たる気力を要し、いかに清潔な精神を必要とするものであるか」
所謂、職人気質である。人の道に外れなければ、忍者も立派な職人といえるが、悲しいかな彼らは陰で働く身である。著者は本書で忍者を讃えているようであり、哀れんでいるようでもある。
ちなみに題名の”梟”とは忍者を指すらしい。洞玄は言う、「忍者は梟と同じく人の虚の中に棲み、五行の陰の中に生き、しかも他の者と群れずただ一人で生きておる」と。
更新日: 03/05/30
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