読書メモ
・「武神の階(きざはし)」
(津本陽:著、 \780、角川文庫) : 2003.02.10
内容と感想:
上杉謙信を主人公とした歴史小説。
題名の武神とは毘沙門天を指すと同時に、毘沙門天の化身と自他ともに認める謙信を称える語である。
彼が謙信と名乗ったのは晩年の46歳に剃髪してからで(49歳で死亡)、幼名の虎千代から元服して、景虎、政虎、輝虎などと何度か改名している。北条氏に追われ謙信に庇護を求めて越後に逃げてきた上杉憲政から関東管領職を32歳で継承し、上杉姓を名乗るまでは長尾姓であった。
謙信のキーワード:
越後、毘沙門天、酒、川中島、関東管領、龍、虎、無欲、無敗、信義、寛大、独身
謙信が多くの戦国武将と比して特異な点は、数多い:
自らの領土拡大、侵略のための戦さを行わなかったこと、負け戦がないこと、下克上の世に天下を狙えるほどの実力がありながら覇を唱えなかったこと、何度となく彼を裏切ったにもかかわらず、降伏した者でも許したこと、妻帯しなかったこと、など。
長い年月の内に神格化・伝説化されたとは言え、日本史上、稀有な存在と言えよう。現代では望むべくもない人物であるが、かつてこういう人物が存在したこと自体、奇跡である。
何度となく越後の兵を率いて冬の三国峠越えをも苦にせず、関東へ出陣するが不思議と、謙信に反発する者はなかった。それほど民や家臣の信望が厚く、心酔する者が多かったのであろう。関東からの救援要求で戦さをして勝っても、領土は増えない。当然、家臣には知行が加増されることもない。よく不満が爆発しなかったものだ。それほど恐れられていたとも言えるし、越後人の気質とも言えるかも知れない。それと比べてだらしないのが関東人たち。甲斐・信濃の武田、相模・伊豆の北条に度々、侵略を許し、その度に謙信に救援を求める。彼に領地を回復してもらっても、彼が越後に引き上げると、またぞろ武田・北条が攻め寄せてきて自分の力では守り切れない。時には謙信を裏切ったりもする。
小説であるから多少は脚色はあるとしても、控え目な著者の筆でも、謙信と比較すると宿敵・信玄の姿は実に極悪者として映ってしまう。
武神と恐れられながらも関東では何ら成果も上げられず、虚しい戦いを繰り返しただけの彼の胸中はどんなであったろうか?
度々、膨大な戦費を必要としたことであろうが、それを可能にしたのは彼の経済力でもあった。佐渡金山の金を始め、北国船による交易などで謙信の収入は相当のものであったらしい。
一生を妻帯せず過ごした謙信であるから、色恋の話は少なく、本書でも女性の登場はわずかである。しかし彼の心の中には常にある女性がいた。重臣。直江実綱の娘ふえであったが、彼が24歳で最初の上洛を果たして帰国した時、そこに彼女の姿はなかった。善光寺の尼になってしまっていたのだ。
昨年9月、福井の田舎から両親、妹夫婦らが上田に遊びに来たのだが、戸隠に蕎麦を食べに連れて行く途中に、川中島合戦場跡に寄ってみた。初めて訪れたが、400年以上も昔に何度となく激戦が繰り広げたとは想像もつかないほどのどかな場所であった。観光地として整備されていて、謙信・信玄の一騎打ちの像がなければただの公園としか思えないが、まあそんなもんだろう。
読後も謙信に対するイメージは全く変わることはなかった。信長のような革命者でもなければ、秀吉のような陽のイメージもない。雪深い越後の虎、義に厚い無欲な武辺者というイメージ、実に個性的ではないか。
そういえば最近、著者の手による新刊が出た。時代こそ違うが、謙信と同郷の角栄を題材にしたものらしい。二人は余りにイメージが違い過ぎて、角さんが可哀想になるかも知れないが、彼もまた越後が生んだ個性的な歴史上の人物の一人になったのだ。ちょっと読んでみたい気もするが、どうして彼を取り上げたのか、そちらの方が興味がある。
更新日: 03/05/30
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