読書メモ
・「秀吉神話をくつがえす」
(藤田 達生:著、講談社現代新書 \740) : 2008.01.05
内容と感想:
秀吉人気の元になっている「神話」を検証している。
人気の背景には大出世の他にも性格の明るさや、颯爽とした行動、情け深さなどの人間味があるとされているが、
著者はそれは創作であり、真の姿とはかけ離れたものだと言う。
実体は自らの権力欲のためには手段を選ばず、非情な謀略でライバルたちを蹴落としていったり、刃向う者には信長に劣らぬ残虐行為を行なったり、
民衆には過酷な圧制をしく独裁者であった、と。
また、秀吉の天下統一事業は日本に平和をもたらそうとしたものだという説にも異議を唱えている。
著者には本能寺の変についても著作「謎とき本能寺の変」があるが、本書では、織田政権が天下統一に向けて次第に変質する中で光秀が立場を失っていき、
必然的に謀叛を起こした、としている。一見、磐石と見えた織田政権は実際には重臣層の統制が不十分な脆弱なものだった。
そして重臣どうしの出世競争に光秀のライバル・秀吉が大きな位置を占めていた。
明治時代に朝鮮侵略を行なった秀吉を軍神と崇める「軍国神話」が成立した、というのは今回初めて知ったが、
これも彼を利用した、時の政府が創作した神話だ。秀吉は死後、神格化されたが、江戸幕府によってそれを完全に否定された。それが明治になって復権されたのだ。
終章では、信長の改革の挫折が江戸幕府の朝廷政策や、幕末・維新の変革、第二次大戦後の占領軍による民主化のありかたすら刻印づけたのではないか?
と、天皇を軸とする権威構造を変えるほどの抜本的な改革が、ついに今日まで試みられることがなかった点を指摘し興味深いが、それを肯定も否定もしていない。
秀吉神話は民衆相互の情緒的な連帯感を高め、国家との距離を縮め、一体感をもたせるのに好都合だった、としているが、
太閤検地によって民衆はかつてない厳しい搾取にさらされたと言う。
なのに秀吉は支持されたのだろうか?独裁者という意味ではかえって信長よりも恐れられたのでは?と思ってしまう。
神話で語られるほど秀吉がヒーローだったかどうかは別として、本書では信長亡き後、天下統一事業を苦労して完成させた道のりが理解できるだろう。
決して秀吉が信長の後継者になるべくしてなったのではなく、そんな単純な図式ではなかったことも。
○印象的な言葉
・秀吉神話は生前から既に原型が成立していた。それは秀吉自身の手による。生前には「天正記」や豊公能「明智討」が作られた。
神話づくりは自己の宣伝のため。
・死後は「太閤記」や浄瑠璃・歌舞伎・講談などで語り継がれてきた
・江戸時代にも人気はあり、上下の身分が固定した時代の「ガス抜き」になっていた
・秀吉は百姓ではなく、差別を受け遍歴を繰り返す商人的な非農業民の出身。名字を持たない階層。伝統的な武士道徳からは自由だった
・信長が秀吉を「猿」と呼んだ確証はない。「禿鼠」と呼んだことはある
・謀叛が頻発した織田政権の脆弱性
・秀吉が惣無事令を発した事実は見当たらない。発令されたのは停戦令
・秀吉の特殊な情報収集能力:非農業民の広範なネットワークを駆使。経済感覚:商人的な才覚も磨いていた。
・「武功夜話」は荒唐無稽な部分も多く、良質の史料とは言えないが、一次史料の空白を補う参考史料として貴重
・信長の戦争は完全に敵対勢力の息を止め、その領地を自身の領国にする殺戮戦へ変化。「付城戦」が多用された。それは大規模な土木工事で経済効果も。
少ない兵力で敵方を釘付け。消耗戦・物量戦であり、莫大な資本と大量の人員を動かせる者が勝つ。
・秀吉は戦争の質の変化を理解し、積極的に好機と捉えた。戦争に「商い」を持ち込んだ。
・信長は家臣団に常に競争を強いた。脱落する者を生む構造。統一後に除外されることを恐れた重臣層は画策を始めていた。
・光秀には自身が納得できるだけの謀叛の正当な理由があった。でなければ彼の重臣が諫止したはず。組織の存続が重視されていた時代には個人の意志は制限された。
・荒木村重は出世競争の敗退による窮状に義昭が付け込んだ。生き残りを賭けて信長包囲網に入った。これが本能寺の変の前提になった。
・信長の政権運営は世代交代が進んでいた。子息を初めとする一門や近習が強権を掌握し、老臣は退陣していく運命
・信長は配下の大名を自由に転封(国替)できる鉢植大名にする構想だった
・信長は右近衛大将への任官をもって幕府を開くことは可能だった。頼朝は大将をすぐに辞任して征夷大将軍となった。
・秀吉は光秀謀叛を事前に予想し、緊急用の特殊ルートで情報入手。光秀の行動にアンテナを張っていた
・小牧・長久手の戦いは織田信雄と秀吉との「天下分け目の戦い」
・秀吉は終生、家康を他の大名と同様な主従関係のもとに置けなかった。特別の存在として処遇。
・秀吉は従来の大名連合的な政権構造を克服し、ヒエラルヒーを形成する近世的知行原理を確立
・秀吉の天下統一による仕置で各地で新たな統治者となった豊臣大名に反乱する一揆が多発。大名たちの未熟・非力
・秀吉の大規模遠征は構造改革を現地民衆に認識させるため
・欧州における銃や大砲による軍事革命が封建社会を崩壊させ、分権化、民主化していったのに対し、日本ではその軍事力を背景に集権化が進んだ。
・古今東西、為政者は平和の実現を訴え、あるいは自衛手段と主張し開戦してきた
-目次-
序章 「秀吉神話」の系譜
第1章 戦国時代の「悪党」
第2章 本能寺の変
第3章 関白の「平和」
終章 軍国神話の現在
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