読書メモ
・「<負け組>の戦国史」
(鈴木 真哉:著、平凡社新書 \660) : 2008.01.13
内容と感想:
嫌いな言葉に「勝ち組、負け組」がある。なら、なんでこんな本を読む?、と言われそうだが枕詞よりも「戦国史」のほうに弱い私。
本書のタイトルからして内容は想像できるだろう。
流行の言葉であるから、その意識も(商売っ気も)十分あるだろうが、本書を書いた背景を著者が「あとがき」で語っている。
祖先が戦国時代の敗者の一員だったから、と告白。更には子孫の自分も「負け組」だ、と謙遜しているのか、
自虐的なのか分からない。
今風の「勝ち組、負け組」は経済的な勝者・敗者を指すことが多い。
著者の定義では、戦国時代のそれは軍事的あるいは政治的な争いの結果で決まったものであった。勿論、それは武士たちのことで百姓のことではない。
戦国時代は個人にしろ、その属する家や集団にしろ浮沈が激しかった、という。
本書が定義する「勝ち組」は戦国時代を生き抜き、家を守り、その血統が幕末・明治維新まで続いた家といえそうだ。
それはつまり大名や旗本、として生き残れた家となる。
大名や旗本としての家名は保てなくてもそれらの家臣になったり、儀式などを掌る高家となった者もいたそうだ。
本書では勝ち組となった家系の話も負け組と同じくらい多いが、著者の指摘で面白いのは
臆病でも凡庸でも「勝ち組」に残れた者はいくらもいる、という点だ。
結局、「勝ち組」の条件はツキだけ、と著者も書いているように、能力があってもツキに恵まれなければ浮かばれなかったのだ。
さて、負け組となる経緯、パターンは様々なようで、
主君や家臣、仲間に裏切られた人、自ら袂を分かった人、背いた人、当てが外れた人、粛清・刑死された人、失敗・落第組、切腹させられた者、
戦で命を落とした人、謀略により謀殺された人、出奔した者、野に下った者、などなど。
江戸時代に入ってからも、後継者(子)がなくて潰された家、所領を没収・改易された者、追放された者、もあったようだ。
裏切り、寝返りは日常茶飯事だった時代であるから、上手く立ち回れれば家を潰さずに済むのだが、
そもそも分が悪いのにも関わらず、成り行き上、強者に抵抗せざるをえなかったり、巻き込まれたり、とばっちりを受けたりして争いに
加わらざるを得ない者もあったようだ。
当時は戦の多い殺伐とした時代だった。
武士同士の大喧嘩に百姓など一般市民が巻き込まれるのという、武士以外の人々には迷惑な時代。
それでも希望をもって生きていられたのだろうか?心は荒んでいたのだろうか?
○印象的な言葉
・関が原の再現となるはずだった明治維新。第二の関が原の決着は曖昧に終わった
・中東三千年の歴史のうち百年戦乱が続いたくらいなら比較的平穏だった時代に過ぎない
・日本民族にとって百年戦乱(実質的には150年以上)が続いたというのは極めて異常な時代
・応仁の乱こそ徹底した「日本全体の身代の入れ替わり」、改造だった。乱に巻き込まれた地域の東側は富山・岐阜・愛知くらいまで。
・紀州の雑賀衆・根来衆は天下一統という中央集権化を嫌って積極的に抵抗した。それらは「一大共和国」のようだった。
しかしそういう割拠主義の徒はことごとく敗者となった。
・足利幕府が日本全土を支配できなかったのは幕府に対抗しうる強力な守護大名が何人もいたため。政権が安定なかった。
義満のときに北朝が南朝を吸収合併することで南北の対立が解決。強力な守護大名もいくつか潰した。
・大坂冬の陣、夏の陣は戦国の負け組の再チャレンジの場。関が原で決まった線引きを再確認しただけに終わった
・当初の「守護」は権限も小さく、軍事・警察の分野で一定の任務をこなすだけ。それが大名化したのが守護大名
・天下統一を目前に信長は息子達や一門の者たちにどう財産分与しようかと、領国の再編成に悩んでいた
・秀吉の配下に付いた山中鹿介らが毛利に攻められたとき信長はそれを救援しないことを決めた。秀吉は「悪い評判を流すことになる」と反対した。
・武田家滅亡後、関東に送り込まれた滝川一益だったが気の進まない任務だった。他に適任者がいなかった。
・秀吉の血縁者にはろくな人物がいなかった。実弟の秀長だけが水準以上の人物
・信長が本能寺ではなく普通に病死していたら光秀が取って代わる目はなかった。継承順位でいえば6,7番手くらい。それは秀吉も同じ。
・秀吉は信長の死後、何事にも信雄を前面に押したて、自分の野心の隠れ蓑にしていた
・勝家は織田政権が秀吉に横領されることを織田家の大番頭として食い止めたかった
・小牧の戦いの結果、秀吉はその気になれば家康を潰せた。しかし彼の目は西を向いていた
・当時の海外との通商拠点は九州。信長は九州全島を支配する者が出てくることは阻止したかった
・関が原も最初から結果が見えていたら誰もが勝ちそうなほうに加わるはず。しかしどちらが勝ってもおかしくないところまで来ていた。だから決戦になった。
・天下人になるための条件:意欲、一定の軍事力・経済力、一定の家格・ポスト、ツキ
・戦国時代は裏切り、寝返りは日常茶飯事
・北条早雲は検地を早くから始め、全領土で実施。どんな税をどう取っていたか具体的に分かっている
・三成には地位不相応のやる気があり、それを裏打ちするほどの能力があった
・真田昌幸:信玄の傍らで過ごし、信玄流の政略、戦略・戦術、外交、民治などを直接学んだ
・真田幸村:大坂の陣での立場は一種の傭兵隊長。夏の陣の最終段階では家康の首を取ることに目標を絞った
・幕末、徳川宗家の幕府が消滅しても別の家が新たな幕府を創設する可能性は十分あった。尾張家や紀州家は宗家と同格
・大政奉還では本来、朝廷や天皇の出る幕などないはずだった。反徳川側が政略として天皇をかついだため、武家政治の終焉、武士団の解体までいってしまった。
-目次-
プロローグ ―戦国の「勝ち組」と「負け組」
第1章 天下を失った面々
第2章 戦国「負け組」の総チェック
第3章 「勝ち組」から出た「負け組」
第4章 「負け組」は、どのように生まれたか
第5章 「負け組」はどうなったか
エピローグ―武家政治の終焉と勝敗の決算
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