読書メモ
・「「自分」から自由になる沈黙入門」
(小池 龍之介:著、幻冬舎 \1,400) : 2008.10.11
内容と感想:
著者は2005年に「月読寺」を創設し、住職となったまだ30歳と若いお坊さん。
ウェブサイト(「家出空間」)やお寺とカフェを兼ね備えたリアルな空間「iede cafe」を立ち上げたりと、
現代的な感覚をお持ちの方。
本書は僧侶の立場から分かりやすく仏教を説いている。
第T部と第U部はそのウェブサイトに書いていた文章がベースとなっている。
「欲や怒りや迷いを薄めるダイエット」をしようと言っている。
第V部は実践編。iede cafeで開催していた坐禅瞑想会での指導内容をもとに書かれている。
「候ふ」とか「侍る」「存ずる」など古い言葉遣いを使っているのもかえって新鮮に感じられるかも知れない。
薄い空色の装丁もカラっとした印象で、著者本人が手がけたイラストも散りばめられていて若い人にも受けそうである。
T部、U部には自意識過剰で、「自分」を押し付け合うようなコミュニケーションは人間関係を悪化させる。
できるだけその「自分」濃度を薄めていく方法を解説している。これを読めば、
返事に困るような問いかけなどに対しては、やり過ごす、涼しく聞き流す・受け流す、無理なフォローはせず、話題をスルーする、
話題を自然に終わらせてしまう、など上品で優美なる対処が出来るようになるはず。
それは相手に踊らされず、相手を否定もしない、中立的な優しさ、雅さを醸し出す。
タイトルにもある「沈黙」は単なる沈黙ではなく、困ったときにも必要以上に語らず「勇敢なる沈黙」でかわすテクニックなのである。
本書で著者は仏教ではなく「仏道」という言葉を使っている。
彼らにとってはそう呼ぶのが普通なのかもしれないが、道と言った途端に何か宗教色が薄くなったような錯覚に陥る。
日本人が好きな「xx道」だ。つい究めたくなる。
第U部で仏道は「己自身を徹底的に見つめる中で、生活や思考のスタイルをデザインする方法」というように、
僧侶としての著者の役割はそのテクニックを伝え、精神の鍛錬のお手伝いをすることだと書いている。
そこには危険で盲目的な信仰はない。僧侶は「精神的インテリア・デザイナー」とも言い換えているのは面白い。
著者のような方の存在は心理カウンセラーにも似て、現代の迷える日本人には貴重であり、重要な役割を果たしていくだろう。
はるか昔、日本人がもっと信心深かった頃、お坊さんたちは文字も読めない信者たちに難しい仏典の解説などせず、
本書のようにもっと分かりやすく語って、彼らの心を掴み、心の平穏に導いていったのではないのだろうか。
○印象的な言葉
・イイカゲン
・ドウデモイイ、ドッチデモイイ。潔さ、軽やかさ。ダメならダメで仕方ない。
・「個性を生かそう」は有害。民衆を騙してカモにするためのデマゴギィ
・互いに「自分」を押し付け合っているコミュニケーション・交際
・物欲しげ、威厳なし、チンケ、矮小なプライド、醜さ、執着
・ケチをつける。コメンテーター気取り。自分のセンスが優れているとのメッセージ。ケチをつけている対象に依存
・三毒:貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚癡(ぐち)。ヨクボー、イヤイヤ、マヨイ
・無駄話対策:話の腰を折る
・業(ごう):カルマ。心の奥深く、潜在意識(無意識)の領域に溜まっていく心のエネルギー。負の感情は積もり積もって、どこかで芽を出す
・お嬢様:己を抑制する美学。焦りは禁物。達観。人に媚びず、人を傷つけぬ配慮
・法:仏陀は因果法則を作ったのではなく、単に発見しただけ。特定の宗教のもののでないため仏法と呼ばず、ただ「法」と呼んだ。
・お金に操られない
・おそろしいまでにゆっくり話す。抑制をきかせて喋る。言うべき言葉をチェックし、スロウかつ慎重に話す
・恥の心で己を律する。慙愧(ざんき)。貪欲、瞋恚の防止剤
・自灯明法灯明:己自身と法を頼りに生きてゆく
・自分を客観視することで感情が落ち着く
・心言:心の中の言葉
・念:心や身体の状態を観察して意識できていること
・定(じょう):集中状態
・生きるも死ぬも独りきり。孤独を意識することで、どんな人とでもこだわりなく交流できる
・瞑想:身体や呼吸の観察→受(気持ち)の観察→心の観察→法則の観察の順で意識を向ける対象を変えていく。集中力や平常心を応用
・イエデ(家出):日々の雑事を忘れられる空間に禅、瞑想をしに家出する
・禅定、三昧:完璧な集中状態
・神秘体験に夢中になるのは欲望の業を積むだけ
・痛みや寒さなどの不快感もちゃんと実感することで分解・消滅する。苦しみと一体化し、苦しみを味わい尽くすことで心が軽くなる
・どちらにしようか迷っているのは、どちらにも欠点があること。即ちどっちでもよい
-目次-
T:沈黙のすすめ
U:欲望ダイエットレシピ
V:イエデ式修行法
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