読書メモ
・「宗教としてのバブル」
(島田 裕巳:著、ソフトバンク新書 \700) : 2008.06.07
内容と感想:
宗教学者の著者がかつての日本のバブル経済について精神面から分析した本。
戦後生まれの私が戦争を知らないのと同じように、バブルを知らない子供達が増えてきた。
バブルと戦争を同じように論じるのはどうかとも思うが、ある出来事を境に世代間に価値観の相違が
生まれることがある。その一つが日本の「失われた10年」の発端となったあのバブルである。
バブルの発生と崩壊が日本の経済に与えた影響、日本人の心に与えた影響は大きい。今の自信喪失とも言える社会の停滞感の源とも言える。
そしてバブル崩壊前後に社会人となった私のような世代が40代を迎え、社会的にも中心的な役割を担うようになってきている。
著者は私とは一回り以上も上の世代だが、冒頭ではオレンジレンジの音楽に衝撃を受けたと言っている。
彼らはまだ20歳前後の音楽グループだが、著者はその徹底して前向きな歌詞に惹かれたそうだ。
同じ世代で世界を相手にするようなスポーツ選手などの名前も挙げて、世界を見据える姿勢や、地に足が着いた印象について語っている。
そう、彼らの世代は当然、バブルを知らない。だからそれ以前の世代とは価値観も違ってきていると著者は感じたのだ。
著者は1980年代以降に生まれた世代をバブルを知らない世代と定義している。2005年9月時点でその世代の人口は25%を占めたという。
下流、負け組といったキーワードの言説が溢れ、大人が不安を煽っている。それがかえって若者から希望を奪い、あきらめの気持ちを抱かせている。
そうした状況で若者達は堅実さを求め、好景気の波に乗ることなど期待せず、自分の人生は自分の力で切り拓こうとしているようだ。
最初、私はタイトルに違和感を感じた。それは経済活動と宗教が結びつかなかったからだが、その疑問には次のように答えている。
宗教とは「必ずしも自明でない前提にもとづいて行動する、一群の人びとの活動の全体」のことだそうだ。
神の存在などは「客観的な形で外側から証明できないこと」だが、著者はバブル時代の土地神話や株価神話はまさに「宗教」に値したと言いたいようだ。
その宗教体験を体験した人間にとっては忘れがたいものになり、そのリアリティに圧倒され、それをなかったことには出来ないそうだ。
かつて「日本人は高度経済成長期以降、右肩上がりの経済成長を善とする特異な宗教の信者」であった。それはある時期までは万人に幸福をもたらし、総中流社会を実現させた。
しかしバブルという名の宗教は「あらゆるものを破壊してでも、ひたすら経済的な利益を追求する方向へ進んでしまった結果」、「最終的に多くの人間を苦しめ、社会をも
破壊するカルト的な宗教へと変容してしまった」。
私もバブル崩壊前後に社会人となった一人だが、バブルの恩恵にあずかった覚えはない。しかし社会を覆っていたその雰囲気には否が応にも触れていた。
程度の差こそあれ私の魂もバブルに汚されてしまったことは否定できない。
大人たちは未だにバブル崩壊を嘆き、言い訳にしている。
バブルを体験した世代はバブル的な発想から抜け出ることが難しいだろう。しかし反省なくして進歩はない。
人間は懲りない動物だそうだが、宗教の麻薬性もあり、著者はバブルの再来を望んでいる人の存在についても暗に指摘している。
ITバブルのように何かのきっかけで今後もバブルは繰り返されるだろう。謙虚に失敗に学ばねばならない。
著者が問題視しているのはバブル崩壊により日本的経営が破壊され、企業という共同体と同様、家や地域も崩壊の危機にある、ことである。
そうした中、家、地域の価値が見直されているという。信用できなくなった会社のかわりに何らかの基盤となる場が必要となるだろうと。それを係留点とも呼んでいる。
また企業組織に依存するのではなく家業的なものも見直されていくだろうとも言っている。グローバリゼーションの進む中、時代を逆行する考え方とも思えるが、
本当の幸せとは何かもう一度考え直す時期にきているのかも知れない。
最後に書かれているように「時代状況がどうあろうとも変わらない思想や価値観のほうが、時代に依存するものよりもはるかに永続性をもつはず」であることは確かだろう。
仏教やキリスト教など長い間続いている宗教は「バブル教」とは違い、永続性のある普遍的な思想や価値観が認められ残ってきたのだから。
○印象的な言葉
・熱病的陶酔(ユーフォリア)としてのバブル、根拠のない過度の幸福感
・バブルマインド
・家、地域への回帰
・ひたすら前向きだと付け入る隙がない
・大人は若い世代に警告を発するだけはなく、同時に夢を与えなければならない
・夢を語るのは厳しい現実を語るよりも難しい。ビジョンの提示
・合理的な判断を逸脱した投資
・行動経済学:間違いや非合理的な行動をとる生身の人間が前提
・プラザ合意がバブルの原因とされる。その時点では既に株、土地の世界ではバブルは始まっていた
・オイルショックは「ショック」にとどまり、「崩壊」にまでは至らなかった
・バブルは日本人全体がそれを謳歌できたわけでない。持つ者と持たざる者の間の格差が広がった
・終身雇用:解雇されない安心感から業績が悪化しても、組織全体の頑張りで危機を乗り越えようとする。オイルショックも克服できた
・バブル崩壊後に日本的経営システムの解体が起きた。共同体意識が破壊された。治安の悪化。安心や安全が失われた
・バブル時代に「分相応」という倫理が崩れ去った。個人の欲望の充足を優先するようになった。共同体のメンバーは仲間以前にライバル。
共同体の将来に対して責任を持とうとしない
・ベビーブーマー、団塊の世代:経済への思い入れが強く、「拝金主義」にさえ結びついている。競争主義、戦闘的
・学生運動の闘士は破壊の限りを尽くしたが、その罪を問われることもなく社会に受け入れられ、企業戦士となった。そこに「甘えの精神」がある
・バブル時代は金が全ての中心。団塊の世代にとっては理想が実現された状態だった
・なんとなくクリスタル:「なんとなく」の裏にあるかすかな不安や満ち足りない気持ち。それを深く突き詰めていかない。大人になることを回避し、子供のままでいようとする。
・私生活主義:利己主義的な態度や行動を生む。社会が倫理規範を失っていく
・バブル崩壊後もバブルマインドは消えなかった。依然として踊り続けていた。生活のレベルは落ちなかった。企業所得は上がり続け、雇用者の報酬も伸び続けた。
・人間はなかなか懲りない動物
・一時は宗教世界や精神世界の運動が自分探しの若者の受け皿として機能。オウム事件で若者が行き場を失い、あてもない旅を続けざるを得なくなった
・団塊ジュニア世代はキリギリス、バブルを知らない子供達はアリ
・バブル崩壊後の1990年から1997にかけて、土地と株式の評価額は1,300兆円も下落、消滅
-目次-
第1章 バブルを知らない子供たちの出現
第2章 バブルを生んだ高度経済成長
第3章 バブルマインドの形成と団塊世代の役割
第4章 宗教体験としてのバブルとその後遺症
第5章 宗教としてのバブルを脱却するために
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