読書メモ

・「「本能寺の変」はなぜ起こったか 〜信長暗殺の真実
(津本陽:著、角川oneテーマ21 \705) : 2008.05.05

内容と感想:
 
序章で国学院大学の二木教授の話を引用している。 これまでの「本能寺の変の真相を探る」と題する類の出版物の多くはあくまで「推理」だと。 実証をこととする歴史学としてはそれらは学問的な価値はない、と言っている。 説を唱えるのであればそこには歴史学の発展に寄与する合理性が不可欠なのだ。 良心的な歴史学者であるほど、そうした場に首を突っ込もうとはしないそうだ。 私も様々な説をこれまでも読んできたのだが、そこまで言われると身も蓋もない。 真実を証明できないだけに面白い説を唱えることで本が売れれば彼らにはそれで良かったのだ。 著者自身も信長をテーマにした本を書いている物書きだからその辺りは十分認識しているだろう。
 本書も「真相を探る」類の本には違いないが、 著者はそうした背景を踏まえた上で、ここで奇説ではなく「歴史学者に刺激を与え」るような検討を加えようとしている。
 光秀謀叛のきっかけの一つとも思われる信長の性格。 彼の精神状態について私も興味があったが、著者は 彼が朝倉・浅井を滅ぼし、黄金色の髑髏を作らせた頃から 「正常な神経が冒され始めていたのではないか」と考えている。 戦国という過酷な時代が正常な精神を破壊することは容易に考えられる。
 更に信長の狂気は暴走する。 「最大の難敵・本願寺を制圧し、心の重荷が取り除かれたことで、気が高ぶり、平静を失った」。 佐久間信盛父子、林通勝父子、安藤守就父子らを追放するなど 彼の「性格の暗黒部分が制御を失い表に現れてきた」。
 また武田家を滅亡させた後、家康らが安土を訪問したときも梅若太夫の能の出来が悪いと 来客の前で自制を失い、太夫を折檻したという。 次第に光秀はそんな信長を野放しにしておけないと考えるようになったのではないか? 良かれと考え自分を納得させて謀叛したのではないかと私は思う。
 「信長は叛乱を起こさせるまで光秀を追い込んでしまうほど凡庸ではなく、軽率でもない。人使いは残忍過酷の一方で十分に気配りもし緻密である」。 「まだまだ光秀を用いる局面はあると考えていた」。「まだまだ使えるとその能力を依然買っていたはず」、 「自分の将来構想を理解し、働いてくれるはず」とのワンマンの独りよがりが油断を生んだ。
 光秀とすればこの先もギリギリまでこき使われることが見えてしまったのではないか? ボロボロになる前に自分の夢(天下取り)に挑んだのかも知れない。目の前に千載一遇のチャンスが訪れたのだから。
 第六章には精神医学の専門家による光秀の精神分析が書かれていて興味深い。 著者は謀叛の原因の一つとして光秀のノイローゼ説に注目している。 「信長と気質が合わず、長年の軋轢により心を病み、怒りが爆発した」というもの。 しかし神経症にかかった場合、外部の人間は当人の言動の異常に容易に察知できるという。 光秀が異常な行動をとったという記録はないようだ。 従って「神経症という重篤な段階まではいっていない」が、「思い極めていて一時的に脳がほかの情報を一切拒否して受け付けない状態」にあった 可能性はある。怒りや不安、恐怖、様々な思いが重なり、思い詰めてしまったのだろう。
 私は本書を殺す側・殺される側の精神分析書と受け取った。

○印象的な言葉
・信長の天性の動物的勘のよさ、鬼神をも驚かす大胆さ、冷酷だが巧みな人使い、ありえないような強運。 広い視野と緻密な思考力、徹底した合理主義。前例に囚われない。我が国の古今において例を見ないスケールの大きさ、狂気の如く破壊的、創造的で建設的。
・強い攻撃性、猜疑心が戦国乱世を生き抜く必須条件。他人を容易に信頼するような温和な性格であってはならない。
・若い頃は学問嫌い。実戦に役立つ武芸鍛錬は怠らなかった。戦闘に備えて普段からどう準備しておけばよいか考えていた。自分で見たことのみを信じた
・宗教集団の持つ非合理性を見抜いた。仏の名をかたる坊主どもの偽善
・伝奇小説、時代小説、歴史小説
・当時、数百万人の信者を抱えていた浄土真宗
・信長は将軍義昭を追放後も彼の政治的価値を認めていた。本願寺との戦いの過程で将軍としての義昭を利用する局面が生じると見ていた
・白河法皇も意のままにならないものの一つととして挙げた延暦寺
・朝廷は先例を破り、平氏を名乗る信長を将軍に任じることを認めた。死後、相国(太政大臣)を追贈されていることから将軍ではなく太政大臣で決着していた可能性も。
・光秀は明晰な頭脳と強靭な精神力をもった武人
・信長を失脚させたいと考えている公家がいることは本人も認識していた
・光秀は自ら輝くというより、信長がいてこそ輝く。家臣を重戦車のような圧倒的な力で纏め上げ、引っ張っていくだけの個性・力量を持ち、 一国に覇を唱えるほどの武将ではない。彼自身がよく知っていた筈
・光秀の死命を制するほどの切羽詰った事情があったに違いない
・秀吉の毛利攻めの時、高松城救援に4万の毛利勢が押し寄せたが、戦意がないことを信長は知っていた。毛利は背後の大友氏や南条氏を気にしていた
・信長同様、光秀もイエズス会とは相容れない考えの持ち主だった
・細川(長岡)藤孝は信長殺しに深く関わっており、それを追求されたときのことを考え、家の存続のため隠居した。秀吉と毛利との講和が近いことも知っていた
・信長の戦略はヒット・アンド・アウェー

-目次-
序章 いまなぜ「本能寺の変」なのか
第1章 信長を囲む軍事・政治情勢
第2章 織田信長という個性
第3章 秀吉の勃興と光秀
第4章 敵は本能寺にあり
第5章 黒幕は果たしていたか
第6章 本能寺の変の真実