読書メモ

・「百姓から見た戦国大名
(黒田 基樹:著、ちくま新書 \700) : 2008.08.16

内容と感想:
 
歴史小説などでは戦国大名はヒーロー扱いされ、戦国時代の庶民・民衆の本当の姿が見えにくかった。 視点が偏っていたと言える。 本書はタイトルにもあるように当時の庶民、百姓の目から見た戦国時代が描かれている。
 当時の百姓は慢性的な飢饉と戦争で疲弊していたという。 領主の悪政に対してはときには抗議し、ときには逃げ出した。 私にはこれまで当時を見る要素に「飢饉」が全く欠けていたことを思い知らされ、新鮮に感じられた。
 本書では多くの戦国大名の中でも関東の(後)北条氏とその領国の事例が多く取り上げられている。 (著者が東京生まれということもあるし、拠点が関東ということもあるだろう) 北条氏の場合、領主が代替わりするときに徳政令を出し、債務を破棄させることもあったという。 当時は東日本の広い範囲で飢饉や疫病が流行っていたらしい。 原因は洪水、地震、異常気象による不作など。戦争による生産破壊(農地の破壊、農産物の掠奪)もあった。
 戦争では掠奪(乱取り)が当たり前。勝ったほうは掠奪することで豊かになった。 もう一方は難民・飢餓民となり、それがまた動乱・戦争の原因となった。 つまり当時の日本は戦争が生命維持のために必要とされていたという極めて深刻な事態にあった。 それほど飢饉と戦争が切り離しがたい関係にあり、悪循環にあったかを物語っている。
 また本書の最も大きなテーマである「村」について。 それは「村社会」日本の原点ともいえる。 村は人々が生存するための仕組みであった。過酷な時代であった当時は生存することが第一の目的であり、 人々は村に所属することで初めて存在することができた。社会の最小単位、生命維持装置であり、運命共同体であった。 農業用水や用地を巡って、村同士が武器をもち戦うこともあった。 それが領主同士の合戦に発展することもあった。 これまで読んだどの本よりも当時を生々しく身近に感じることができた。
 秀吉の天下統一後は、「天下喧嘩停止令」が出され、刀狩によって民衆らは武器を取り上げられた。 そのため戦争に訴えることができなくなり、訴訟が多くなった。 村同士のトラブルは実力行使での解決自体が処罰されるようになり、喧嘩両成敗法に発展した。 紛争解決を戦争という野蛮で、非生産的な手段に訴えず、より現代的な手段に切り替わっていった。
 かつて日本では、我々祖先が隣の村同士で殺し合いをしていたような時代があった。 そうして厳しい生存競争を勝ち抜いてきた祖先の子孫が我々なのだが、 そうした血(DNA)を多かれ少なかれ受け継いでいる私たちが今、ここにある。複雑な気持ちである。

○印象的な言葉
・過去帳:寺の物故者(死亡)の記録
・戦国期の200年間、死者の死亡時期に季節性があった。食料生産のサイクルに一致し、慢性的な飢饉の影響している。 死因は夏季は消化器疾患、冬季は呼吸器疾患
・13世紀後半頃から気候が寒冷化
・村で食べていけない人々は村を出て足軽になったり傭兵になった
・侵略戦争は飢饉対策の一環。口減らしと、他国での食料確保が目的。大名は他国からの富の掠奪によって存立していた
・村とは「群れ」を指す
・当時の借金の利息は5、6割
・将軍に所領を与えられたとしても、所領を維持できるかどうかは自力によっていた。それまでの領主を追い出すために軍事力を必要とした
・戦国時代は統一政権不在の時代
・国衆:戦国大名に従属したが、領国支配は国衆が独自に行った
・城は軍事拠点であり、本拠であり、政庁の役割もあった。戦争中は村人の避難場所にもなった
・武士道が生まれるのは社会が平和になり、大名の改易が少なくなって、武士の再就職が難しくなった時期
・大名らがどんな税金をどのような基準で取っていたかを具体的に知ることができるのは北条氏が唯一。 信長が実際にどのように領国支配していたのかはほとんど分かっていない。
・治水工事など普請が現代の公共工事の原点
・大名への直接訴訟権を認めることで、村が自らの(直接の)領主を訴えることも容易に
・人改め:徴兵台帳

-目次-
プロローグ 代替わりと「世直し」
第1章 飢饉と戦争の時代
第2章 村の仕組みと戦争
第3章 地域国家の展開
第4章 大名と村が向き合う
第5章 戦国大名の構造改革
第6章 大名の裁判と領国の平和
エピローグ 戦争の時代の終わり