読書メモ

・「真説 本能寺の変
(安部 龍太郎, 桐野 作人, 立花 京子(他):著, 集英社 \1,700) : 2007.03.10

内容と感想:
 
本書では名を連ねる著者陣が2002年時点の各自の持論を展開している。本能寺の変は謎が多く、ミステリーとしても面白く多くの題材として取り上げられてきた。
 巻頭の安部氏と立花氏との対談は興味深い。立花氏は細川(長岡)藤孝が怪しいと言っている。変の実行者である光秀が騙された。 また藤孝は光秀に「秀吉も一緒にやるから」と言ったのではないかとも言っている。 一方で次の章では立花氏は誠仁親王が限りなく黒いともいう。しかし近衛前久にしても彼らが変の全計画を立てて実行させるほどの 組織力は持たなかったから、その彼らを動かした真の黒幕がいるはずだとも言う。しかしその名は挙げてはいない。 前の対談とこの文章のどちらが先かは不明だが、 立花氏の頭には変の後、光秀を支援しなかった藤孝の存在があるようだ。
 一方、堀新氏は朝廷は信長の政治力に依存しきっており、変に関与したとは考えにくい、という立場だ。 また、京都の馬揃えと再馬揃は朝廷のリクエストであり、信長が朝廷を威圧しようとしたというのは誤りだという。 そして信長と朝廷の間に変につながるような深刻な対立はなかったと結んでいる。
 桐野氏も堀氏同様、朝廷や将軍義昭など他勢力の関与の想定は困難という立場だ。光秀個人が「天下様」を望んだのだと。
 藤田達生氏は変の真因は室町幕府体制復活への揺り返しだという立場だ。 秀吉が変を予想していた可能性を指摘する。光秀を追い込んだのは秀吉であり、彼の行動を警戒していたのだと。 自前のルートで情報は確保していたはずであるとも。注目すべきはここでも藤孝の名が出てくる。変に関わる最高機密を藤孝が 保身のために秀吉に提供したのだと言う。
 このようにいろんな説があるのがテーマとして面白い理由だと思う。 しかし光秀が謀反し、信長を討ち、その光秀を秀吉が討つことで主殺しが治める天下にはならず、 秀吉・家康は信長的なものを継承しながらも、日本人の気質に合った形で戦国の世を終息させようとし、 構想通りの形になったかどうか分からないが実際に終息させた。 「信長的なもの」だけでは上手くいかない、という時代の雰囲気がそう導いたのだろうか。

○印象的な言葉
・日本はポルトガルの植民地政策の毒牙にかけられようとした危ない時期だった
・イエズス会は征服者の手先で、武器商人で、人買い
・「三河物語」では信長は嫡男・信忠を疑ったことに
・イスパニア商人の記録では信長は「余自ら死を招いたなと言った」とある
・信長は威嚇により譲位を迫ったのではなく、高齢の正親町天皇は譲位を欲していた。譲位には経費がかかり、朝廷は財政難であった。
・信長が右大臣・右大将を辞官したのは、自ら関白・太政大臣への道を断ち切り、天下統一に官位を利用しないことを宣言した
・秀吉は将軍任官を断っている。関白になるほうが難しかったのに。
・備後に下った義昭は毛利輝元を副将軍に据えた。毛利にとっても将軍の権威は少なからず利用価値があった。
・天下統一が近づき、近習による官僚組織の醸成、中央集権体制により生じる家臣団と信長の間の隙間風。  最も優秀な家臣で、明敏な観察者である光秀が極度の緊張の強要と捨て殺し恐怖政治の歪みを逸早く感得しないはずがない。
・信長が利休に統一後の構想をうっかり話したために、それが家臣に聞こえ、恐慌をきたし、守旧派は憤慨した
・高松城攻めの講和で毛利は備中・伯耆も手放す覚悟だったが、秀吉が得たのは実質上、美作半国のみ
・家康の伊賀越えを機縁に200人余の伊賀衆が徳川家に取り立てられた

-目次-
天正十年夏、明智光秀、織田信長を襲殺!
織田信長と朝廷との不思議な関係
明智光秀挙兵の謎と将軍足利義昭の策動
その時、羽柴秀吉・前田利家・徳川家康は…