読書メモ
・「逆説の日本史 11 戦国乱世編」
(井沢元彦:著、小学館 \1,600) : 2007.01.04
内容と感想:
シリーズ「逆説の日本史」の第11巻。
本巻でカバーする時代は以下の目次にあるようなトピックが登場する時代。16世紀末の頃である。
今回は一冊すべてが秀吉がテーマとなっている。本能寺の変の後、いかにして信長の天下統一事業を継承し、
完成させたかを描く。その道のりは決して平坦ではなかった。
そもそも主家である織田家を乗っ取ったわけだから、自らの権力の正当性を
周囲に認めさせなければ光秀と同じになってしまう。そのために様々な権謀術数を駆使したことが
本書から分かるだろう。
本巻の印象は秀吉の朝鮮出兵についての記述に熱が込められていること。他の巻でも「日本の歴史学の三大欠陥」と
同じような批判が多く見られ、その歴史に対する姿勢は勉強になるが、本巻はそれに拍車がかかっている。
理由は昨今の歴史認識問題だ。韓国や中国は機会があるたびに執拗にこの問題に言及している。
そのことに著者は一言(それ以上だが)言いたいのである。どういうことを書いているかはよく読んでみて欲しい。
それは決して一方的で感情的なものになってはいない。いたずらに批難を繰り返すのではなく、双方で真実を追究する姿勢が
相互理解を進めるために必要なのだ。自分の目で見て、頭で考えて客観的に判断しなければならない。
また、反省は真実の追究のあと、とも著者は言う。
「あとがき」でも書かれているように原理主義のように「自分達だけが絶対に正しい」という態度は認めてはいけない。
独善的な向こうの主張に迎合し、思考停止の自虐史観になってはいけないのだ。
ところで正月にフジテレビで新春ドラマスペシャル「明智光秀−神に愛されなかった男」をちらっと見た。
秀吉との友情や、謀反後に秀吉へ信長政権の継承の道を開くような約束があったかのような描写がされていた。
天下統一事業が地に付いたものにするために、金柑頭の光秀が主君・信長を討ち、自らが主殺しの汚名を着て地に
落ちることで、その金柑を秀吉に食わせよう(天下を取らせる)、というような台詞だった。
原作は誰か知らないが着想は面白いと思った。しかし、そんな説とは著者の見解が違うことは本書の中でも分かるだろう。
○ポイント
・「安土桃山」の桃山は伏見城があった場所。桃山と呼ばれるようになったのは江戸になってから
・羽柴姓は柴田、丹羽から一字ずつ取ったものではない。端柴(半端な柴)の意だった?
・秀吉は本能寺の変までは信長の部下として上手く立ち回ることに心血を注いできた。それが変でそれまでの人生設計と180度違うことをしなければならなくなった
・本能寺で信長が襲われたとき妙覚寺にいた信忠は逃げようと思えば逃げられたはず
・変は光秀の発作的犯行。13,000もの兵を本能寺だけに投入したことでも分かる
・山崎の合戦は天王山の争奪戦ではなく、秀吉は既に天王山を占拠し、光秀を迎え撃つ体制にあった
・信長の次男・信雄はバカ殿。光秀を背後を襲うこともできたはず。安土城を焼いた
・天下構想は壮大な虚構。それを地につけるためには一世一代の大悪謀をやってのける以外にない
・織田家恩顧の武将、前田利家、池田恒興が秀吉に与したことで織田家の天下は終わった。二つ家は明治まで残った
・家康は独創性はないが学習能力は高い
・小牧・長久手の合戦は秀吉・家康の最初で最後の激突。家康は圧倒的に劣勢だった
・下賜された豊臣姓の”臣”は「あくまで臣」という念押しの意
・1586年10月、家康が大阪城に秀吉を訪ね、臣従誓ったことで秀吉による天下乗っ取りは完成
・方広寺の大仏建立(木製?土製?)は宗教統制が目的。宗教戦争の禁止。当時、奈良の大仏は焼亡していた
・善光寺如来の本尊は秘仏で誰も見たものはいない。7年の1度の御開帳で見られるのはレプリカ
・刀狩が日本人を国防に無自覚で他人任せにな国民にした原因
・1598年の石高換算で日本の人口は約1,850万(1石=1人)。全人口の2%しか戦場に出せないが40万動員可能だった。第二次大戦時の総兵力は人口の5%。
・徳川幕府は純然たる農業経済政権。秀吉政権はプラス商工業。秀吉の直轄地は全体の12%だが、農業以外の収入が大きかった
・前近代において戦争は決して絶対悪ではなかった。国際紛争の解決の手段
・第二次大戦前の英国の宥和政策がなければ大戦は回避できたはず
・「(戦争)体験の絶対化」は歴史を性格に分析する力を失わせる。「平和の絶対化」はかえって戦争を招く
・「唐入り」は朝鮮侵略が目的ではなく、明(中国)の征服計画
・天下統一後の拡大路線(唐入り)を中止できたのも、唐入り失敗で、大名達が納得したから
・ポルトガルを併合したスペインも唐入りを狙っていた。秀吉の唐入り前にスペインは英国との海戦で海軍力が低下
・日本には外洋航海技術をもつ海軍がなかったため、秀吉は唐入りのためにスペインに協力を要請していたが拒否された。
・文禄の役と慶長の役の性質の違い。慶長のは単なる報復戦。対馬の宗氏や小西行長の二枚舌外交と、その和平交渉の真相を知った秀吉が激怒。
・現代の韓国内にも地域差別がある。全羅道(かつての百済)
-目次-
第1章 豊臣秀吉、その虚像と実像編 ―歴史学界がタブー視する「差別」構造
第2章 秀吉、天下乗っ取りの大戦略T 織田つぶしの権謀術数編 ―いかにして「権力の正当性」を確保したか
第3章 秀吉、天下乗っ取りの大戦略U 対決、徳川家康編 ―最大のライバルを屈服させた「人質」作戦
第4章 秀吉の天下経営T 豊臣の平和編 ―宗教、貨幣、単位を統一した専制君主の国内政策
第5章 秀吉の天下経営U 太閤の外征編 ―朝鮮征伐にみる日本人の贖罪史観
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