読書メモ
・「戦国時代の大誤解」
(鈴木 眞哉:著、PHP新書 \700) : 2007.08.04
内容と感想:
NHKの大河ドラマのように戦国時代が舞台になることが多い。黒澤映画を初めとした時代物の映画、民放のドラマなどの題材にも取り上げられることが
いまだに多いのも、いまだ一定量の観客動員や視聴率が得られているということだろう。
しかしそれらの内容によく見られる誤解(確信犯的なものもあるかも知れない)に著者は我慢ならないようだ。
ドラマや映画を見る人がそれら全てを誤って史実として信じてしまうことを危惧しているのだ。
本書を読むと、実際には誤解している人たちがほとんどではないかと思われる事柄ばかりである。
「はじめに」で「大河ドラマに典型的に表れているような歴史の見方、扱い方を見直した」と書いているように、ドラマや映画の作り手には耳が痛いことが満載である。
著者は「その時代の社会のあり方や、当時の人たちの価値観を無視したキャラクターづくり」とも指摘しているが、
作り手をかばうとしたら、現代の視聴者に合わせた演出が必要なのが現実なのだろう。無理をしながらも折り合いを付けて作っているのに違いない。
従って、あまりにリアリズムを追求したとしたら視聴率が稼げるとは思えない。学習教材なら兎も角、エンターテインメントとしては成り立たない。
だから著者も提案しているように他のドラマのエンディングに見られるような「このドラマはフィクションです」くらいの字幕があってもいいのかも知れない。
美男美女ばかりのキャスティングも無理があるのは分かるが、やはり最も気になるのは会話シーンだろう。
よくありがちな相手の名前の呼び方「信長様」「秀吉殿」など、他人ことに目上の人を実名で呼ぶことは失礼なことだったそうである。現実には通称で呼んでいたという。
本書を読むと歴史にロマンを感じる人は裏切られたというか、がっかりさせられるかも知れないが、それが現実なのだと夢から覚めるべきだろう。
○印象的な言葉
・テレビドラマや映画の作る側にも史実とフィクションの区別がついていない場合がある
・「甲陽軍鑑」は怪しい
・戦国時代には参謀長のような軍師というポストはなかった
・家康の先祖・松平家は山賊のようなもの。信州・真田家も同じようなもの
・最近の研究では北条早雲は室町幕府で相応の役職にも就いていたらしい。北条という苗字を使うようになったのは子の氏綱の代から。
・斎藤道三の美濃の国盗りは父親との二代がかりだった。油を売ったとしたら父親のほう
・義経は小柄で反っ歯の風采の上がらない男だった
・信長や秀吉らの成功に占める才能の割合がツキの割合を上回っていたかどうか微妙
・信長の本領は戦略家・政略家としての面
・秀吉人気は江戸時代からずっと高かった
・家康が息子と正妻を片付けたのは彼らの取り巻きの勢力が大きくなりすぎたから
・桶狭間の戦いのとき、信長は今川義元がどこにいるのかさえ掴んでいなかった。何とか追い返せればよかった
・三方原の戦いの真相は物見に出た部下が武田勢と小競り合いになり、それが家康まで戦闘に巻き込んでしまった
・甲斐の騎馬軍団など存在しなかった。戦闘のときは下馬した
・長篠の戦の信長側の鉄砲は千挺ほど。三段撃ちなどなかった。武田勢も鉄砲は用意していた。
・信長が九鬼嘉隆に作らせたという鉄船も怪しい
・現実の歴史は多分にツキや偶然で動いている
・忠義という考え方は戦国時代にもそれ以前にもなかった。儒教が盛んになった江戸時代になってから出てきた
・百姓とは農耕民だけでなく、多くの非農耕民を包含するもの
・僧兵がいたのは旧仏教系の寺院で、鎌倉以後の新興仏教宗派にはない
・戦国時代は一日二食。粗食だが質より量。
・弓や鉄砲の撃ち合いで勝負がつくことが珍しくなかった。チャンバラになるような場面は多くなかった。
・甲冑は刀には強いが、槍や弓・鉄砲のような一点集中の武器に弱い
・鉄砲は野戦で攻撃に使うより、城壁に拠って防御に使うのに適していた
-目次-
第1章 怪しい人たち
第2章 歪められたヒーローたち
第3章 ウソっぱちの名場面
第4章 おかしな風景
第5章 不思議な合戦シーン
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