読書メモ
・「フューチャリスト宣言」
(梅田 望夫、茂木 健一郎:著、ちくま新書 \700) : 2007.09.16
内容と感想:
「ウェブ進化論」の梅田氏とクオリアの茂木氏の、ウェブがテーマの対談。
タイトルの「フューチャリスト」について
茂木氏は「はじめに」で、未来について考える未来学者のことだと言っている。
「おわりに」では梅田氏がこう定義している。
「専門領域を超えた学際的な広い視点から未来を考え抜き、未来のビジョンを提示する者」
2人はインターネットの進化を目の当たりにして、未来に明るい何ものかを見始めていて、明るい未来像を描いていることを
語り合っている。
「未来は明るいはず、全体として未来は明るい」と明るい前向きな対談になっている。
巻末には対談とは別に、梅田氏が中学校で、茂木氏が大学で講演した内容が収録されている。
その講演には「若い人たちに希望と勇気を与えたい」という気持ちが込められている。
2人が明るい展望を描くのもインターネットの普及により、
物理的な距離や言葉、文化、社会的な階層といった障壁を超えて世界中の人々を結びつけることが可能になったことが大きい。
梅田氏は互いを分かりあえなかった頃は戦争が起こりやすかった。情報が共有されてくれば戦争は起きにくくなる、と言う。
ネットが世界中の人たちの相互理解を深めるツールとして役に立つと見越しているのだ。
ネットには初めから国境はない。グローバル社会というが既にネットによってボーダレス化が加速している。
情報が広く公開され、共有されることで知恵が広がる。ベストプラクティスが共有され、発展途上国も豊かになれる。
民族、言語、文化、宗教などの違いを認め合い、理解を深め、互いに手を取り合い、成長し生きていける世界が来ると信じたい。
第2章で梅田氏は自分はアメリカではほとんどネットの脳内空間だけで暮らしている、
アメリカで引きこもっている、と言っている。それは人体実験なんだと。
それまでリアルの世界でやっていたことをどこまでネットで代替できるか実験しているそうだ。
それだったら別にアメリカにいなくてもいいのでは?と思ったのは私だけだろうか。
○印象的な言葉
・ネットは自由な可能性を秘めた学びの場
・未来は予想するものではなく、創り出すもの
・WikiPediaの記事の修正はデバッギングのようなもの
・オープンソースの成果物に感謝。その世界に何か還元したい
・インターネット上に「知」が集積していく
・脳の神経細胞のネットワークは半ば規則的で、半ばランダムな結びつき。それがコンピュータにない人間の創造性を生む
・オープンソースの参加者の半数以上が先進国の人。基本的な生活欲求が満たされ、その上の欲求を満たすために参加する
・シリコンバレーは新生物、突然変異。フロンティア精神、テクノロジー志向、反権威、反中央、反体制、ヒッピー文化、カウンター・カルチャー
・権威と闘う道具としてのテクノロジー
・結果が分からない泥沼の中を生き抜くプロセスを楽しむ(アングロサクソンに特有)
・近代スポーツの多くがイギリスで誕生。ゲームを楽しむ、偶有性を受け入れる
・MITの粗削りでも新しいコンセプトを出すということに最大の価値を置く文化
・「見たもの」「聞いたもの」「書いたこと」などが全部記録できる時代のソフトウエア
・総表現社会の到来
・これは何かの「芽」に違いない、大きな筋として正しければ必ず育つ
・自動車という(危険性はあるが)便利な道具とつきあってきたのと同じようにネットとつきあっていく
・生物の進化はDNAのコードの写し間違いによって起こる
・グーグルが吸い込めないような新しい何かがポスト・グーグル
・映像を理解してそれに合わせた広告を挿入する技術。画像にタグを付ける
・SNSはWeb1.0。コンテンツが検索に引っかかるかどうか
・そのうちネットだけで研究をやってノーベル賞をとる人が出てくるかも知れない
・ネットによって、ある到達点までは誰でもすぐに行けてしまう
・グーグルのエンジニア達はどれくらいギーク(オタク)かを競っている
・自らが身を挺して補助線になり、これまで見えづらかった世の中のありようを見えるようにする
・ネット時代は総合的な視座が求められる世になる
・知識の無料化、すべての人に知の喜びを
・情報の私有に罪悪感を感じる。手ぶらな感じ
-目次-
第1章 黒船がやってきた!
第2章 クオリアとグーグル
第3章 フューチャリスト同盟だ!
第4章 ネットの側に賭ける
梅田望夫特別授業「もうひとつの地球」
茂木健一郎特別授業「脳と仕事力」
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