読書メモ
・「戦国15大合戦の真相 ―武将たちはどう戦ったか」
(鈴木 眞哉:著、平凡社新書 \760) : 2007.09.01
内容と感想:
本書では戦国時代の数多くの合戦の中から著者が選んだ15の合戦について、それがいったいどういう戦いだったか、
武将たちはどう戦ったのか、一般的に知られていることが事実だったのか、など検証を試みている。
そこにはこれまで我々がTVドラマや歴史番組、映画、小説などで見聞きしていたものとは全然違った歴史が描かれている。
例えば、桶狭間の戦いは奇襲戦ではなかったとか、川中島の戦いで謙信と信玄は一騎打ちなどしていないとか、
長篠の戦いでは鉄砲の三段撃ちなどなかったとか、、、。
自分がそれが史実だと勝手に思い込んでいるだけ、勘違いしていただけ、というものがかなりある。
小説などの書かれたものや、TVなどで見せられたものを鵜呑みにしてはいけないということだ。
著者は本書の中で通説、俗説というものに挑戦している。
「あとがき」でも書かれているが、我々は天下人を軸に歴史を見ることに慣らされてしまっている。
それは天下人の側から見た歴史になってしまいやすいことを意味する。それを「天下人史観の呪縛」とも表現している。
本書を読むと、歴史にロマンを求めているは白けてしまうかも知れない。
信長も天才戦術家でもなんでもなかったし、家康なんて別に戦さに長けていたわけではないのだ。
勿論、本書をすべて鵜呑みにしてはいけない。これも著者の一つの見方と一歩引いて読むべきだ。
史実を求めようとするなら、受身ではなく、史料を読むなど、しっかりと検証を重ね、自分の頭で判断しなければならない、
と著者も言いたかったはずだ。
○印象的な言葉
・桶狭間の戦いは奇襲戦ではない
・謙信と信玄は一騎打ちなどしていない
・「騎馬軍団」などない。騎馬武者も下馬して戦った。ヨーロッパの騎兵のような密集突撃など出来ない
・明智光秀、石田三成は過小評価されている
・信玄は生涯に80回前後の合戦を行なった。野戦、山岳戦、城攻めなど。勝率はかなり高い
・長篠の戦いでは三段撃ちはなかった
・信長は戦術家よりも政略家・戦略家として評価されるべき人
・当時は遠戦主義:飛び道具主体で戦闘の決着をつけようという傾向が旺盛だった
・信長の紀州雑賀攻めでは彼の戦歴では最大級の動員10万。2回の雑賀攻めはいずれも失敗
・信長は鉄砲に苦しめられた度合いのほうがずっと強かった
・信長の鉄船(鉄の装甲)の存在は怪しい
・石山合戦は戦術レベルでは信長の負け。戦略・政略で本願寺を孤立化させ、講和させた
・光秀が武功に長けていることは、その時代に肩を並べる者がなかったほどで、世間では秀吉が光秀に匹敵するはずもないと思われていた
・中国攻めで毛利と講和した秀吉だが、以前から毛利から申し入れがあったらしい
・加賀百万石:将軍家一族の御三家、御家門にもこれほどの大藩はない
・賎ヶ岳の戦いも「天下分け目の戦い」というべきもの
・秀吉死後、利家か毛利輝元が天下人になるとも言われていた
・小牧の役は家康が信雄をそそのかして起こさせた。家康は秀吉の勢力拡大を放置できなかった
・長久手の戦いは1日だけの戦闘。これは家康が快勝したものの、全体としては勝っていない。北条氏の支援も当てにしていたが動かなかった。
兵力的にも力の差は画然としていた
・秀吉は家康や北条と戦うより西日本を片付けることを優先させた
・城攻めでは救援の見込みがなければ守る側は無駄な抵抗はせず、守らせている主君も徹底抗戦など求めない
・小田原北条氏は早雲の息子・氏綱の代から「北条」と名乗り始めた
・外部からの応援の見通しのない籠城は成功したタメシがない
・豊臣政権内での家康は吸収合併された大企業の元オーナー社長で、実力派の副社長とすれば、三成は本社の企画部長クラス
・関ヶ原の戦いでの三成は構想力、企画力、組織力では家康よりも優れていた
・関ヶ原の戦いはギリギリの段階までは西軍(豊臣方)優位であった。西軍の戦意も高かった
・大坂の陣の真田幸村は軍師ではなく、一種の傭兵隊長、新参の客将に過ぎない
・夏の陣で幸村は二度も家康の本陣を切り崩した。絶望した家康は切腹しかけたらしい
・島原の乱の頃(1637年)は幕藩体制は完全んは固まってはいなかった。全国に浪人たちが溢れていた。
・島原の乱の原城攻めには宮本武蔵も加わっていたが、石垣で落ちてきた石に当たり負傷したらしい
-目次-
奇襲にはばまれた天下取りという“神話” ―今川義元と桶狭間の戦い
つくられた戦国合戦像とその裏側 ―上杉謙信と川中島の戦い
有名合戦の陰に埋もれた人たち ―高天神衆と姉川の戦い
「騎馬軍団」という虚構 ―武田信玄と三方原の戦い
誤解だらけの“新戦法” ―織田信長と長篠の戦い
日の当たらない集団の戦い ―雑賀衆と石山・雑賀の戦い
戦術ではなく政略・戦略の勝利 ―織田水軍と木津河口の戦い
“無いものねだり”と“揚げ足取り” ―明智光秀と山崎の戦い
もう一つの「天下分け目」 ―前田利家と賎ヶ岳の戦い
御用史観の舞台裏 ―徳川家康と小牧・長久手の戦い
武器が戦争のすべてではない ―豊臣秀吉と備中高松城水攻め
三匹目のドジョウはいなかった ―北条氏康・氏政と小田原籠城
「後ろ向きの予言者」たちの語る歴史 ―石田三成と関ヶ原の戦い
戦国最後の合戦の裏表 ―真田幸村と大坂の陣
褒められていない勝ち戦 ―松平信綱と島原の乱
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