読書メモ
・「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」
(橋本 治:著、集英社新書 \700) : 2006.04.16
内容と感想:
バブル崩壊後の日本社会は戦国時代にも喩えられる。題名の”乱世”というのはその戦国の世と重なっている。
どうして今が乱世なのか?その定義は第1章に著者なりの分析がなされて説明されている。
また題名には”市場原理”を冠しているが、著者は経済の専門家ではなく小説や評論を書く著作家である。
「はじめに」では「本書のテーマが何か自分にもよくわかっていない」と何ともいい加減な始まりなのだが、
著者が本書で提起しているのは「今の日本社会のあり方がおかしい」ということ。
最近、”格差社会”という言葉がメディアでもよく取り上げられるようになったが、バブル以降の日本の社会構造の変化が
そういう言葉を余計に実感させている。「勝ち組・負け組」という言葉も同義に近い。
本書でも「勝ち組・負け組」は中心となるテーマである。そこには貧富の差が拡大することによって、いわゆる負け組となってしまう側の意見が
聞き入れられなくなる社会に向かっているのではないか、という著者の危機感がある。格差なんて昔からある、貧乏でもいいや、
と思考停止に陥ってしまったら、勝ち組の思う壺。彼らの意見が重用され、彼らの思う通りの社会になっていく恐れがある。
果たしてそれは日本の未来にとってよいあり方なのであろうか?
第3章のスーパーマーケットのデパート化、衰退、コンビニの台頭は、日本経済の変化の一部を象徴していて非常に興味深い。
本書には乱世という今をどう生きたらよいのか、その答えは書かれていない。
あとがきに「この本は序章に過ぎない」と書かれているように、著者は読者に問題提起しているに過ぎない。
今後どうしていくべきか考えるための過去の振り返りをした、とも読める。指導者や支配者に経済を任せていた時代は終わり、
経済はどうあるべきかを自分で考えなければいけない段階に来た、とも書かれている。
本当の民主国家であるのなら、いつまでもお上に任せ切りで、文句言っているだけの国民ではいけないということだ。自立しろと。
そのあとがきでは、会社人間ばかりになった日本、その会社が「日本社会を衰弱へと導く基盤」だとショッキングなことも書いてある。
今はなんとかオヤジたちだけが会社という場所を足場として「社会の基本単位であろうとする義務感」をまっとうしようとして、持ちこたえている。
この義務感がなくなったら日本も終わりだ、と言いたいようなのだが、かつてのように「家」が教育の場でなくなってしまった今、
その義務感は場所を変えて、会社という場で受け継いでいくしかないのだろうか。
で、「後はよろしく」といってこの本は結ばれている。なんか、うまく逃げられた気分。
○印象的な言葉
・勝ち組には永遠に勝ち続けなければならない困難が課せられている
・バブル後は「どうしたらいいか分からない」から乱世
・今や中央が地方を支える時代。しかし中央だけで支えるのは困難。
・勝ち負けの基準を持ち出したのは投資家という人たち。彼らが企業をそういう表現でジャッジする。
・独裁者はシステム破綻の危機に瀕した時(これが乱世)に登場する。勝ち組は牽引車として暴走が許される。簡単に独裁者になれる。
・経済発展から見れば中国は日本の真似をしやすい構造
・経済にとって金は血液のようなもの
・著者という存在はうっかりすると読者をぶら下がらせてしまうような存在
・世襲制度が残っていた頃、「家」は教育の場であった
・日本のオヤジは「欲望」で生きるより、「必要」で生きる人種
-目次-
第1章 乱世と勝ち組
第2章 たった一つの価値観に抗する
第3章 悲しき経
第4章 どう生きてったらいいんだろう?
あとがきとおまけの一章
|