読書メモ
・「信長の家臣団 ―「天下布武」を支えた武将34人の記録」
(樋口 晴彦:著、学研M文庫 \648) : 2006.10.07
内容と感想:
本書は信長の家臣達の列伝である。取り上げられた武将には著名な人物からあまり光の当たらなかった人物まで幅広い。
「はじめに」でも書かれているように「通俗的な歴史解釈への挑戦」も試みており、著者独自の見方を示している点も多く興味深い。
著者は警察関係の仕事に携わって来られた方(現在は警察大学教授)で、組織学や危機管理を専門としておられる。
本書で武将34人の人物像や事績に迫った目的は、天下布武が信長個人のリーダーシップのみでなく、
組織の一員として貢献した彼らの活躍や組織のダイナミズムの重要性を再認識するためでもあった。
信長は実力主義で人材登用し活用し、全国制覇の手前までいったのだが、その中でも出世街道を突っ走っていたのが最後の章で
取り上げている秀吉である。著者の秀吉論では彼を実務家と定義し、全国制覇を果たしたが、新しいビジョンを創造する能力が欠落していたことが
朝鮮出兵の失敗という愚挙につながったとする。拡大追求型の組織から安定志向型に切り替えるべきだったと言う。
結果的に秀吉の死後、家康がその課題を引き継いで、江戸時代の天下泰平の世に転換させたのだが、
昔から言われるように信長・秀吉・家康と個性も違う3人それぞれに役割があったと、現代から歴史を見る私にはそう思える。
さて、本書で登場する武将は武将だけに武人がほとんどだが、彼らは常に最前線で緊張と激務に耐え、織田家の出世階段を登っていった。
精神力や体力、強運も兼ね備えた人たちであったといえよう。
しかし運悪く道半ばで命を落とした者や、追放された者なども多く、成功者として最期を迎えた者はわずかだ(秀吉と利家くらいだろうか)。
一方で彼らが織田家という新興企業で文字通り命を賭けて働き、信長の天下布武を支えるという充実した人生を送ったことは確かだし、
だからこそ彼らをこうしてドラマチックに描くことができるのだろう。
○印象的な言葉
・一時的な怨恨に囚われず、長期的な視点から部下を活用する度量
・私情より組織の秩序を護ることを優先
・治水は最も効果的な人心収攬術
・織田家膨張に伴い、前線の武将たちに相当な判断権限を委ねる必要があった
・石山本願寺を下して天下布武の目算がつくと用済みになった武将のリストラを開始。冷徹さが信長の経営者としての凄味
・四国作戦はそれほど重視されていなかった
・桶狭間合戦は今川家の上洛が目的ではなかった。戦力も圧倒的に優勢だったわけではない
・朝倉攻めでの浅井長政の裏切りは信長には筒抜けだった。”金ヶ崎の退き口”でた大した戦闘は行われなかった
・キリスト教の精神は同胞愛。異教徒まで対象とする普遍的な愛ではない
・荒木村重の反乱前後にも織田家では外様武将に関するトラブルが頻発。外様イジメ
・光秀はハイリスク・ハイリターン型
・近畿での足場が十分に固まらないうちに本願寺を敵に回したのが重大な外交的失策。天下統一を遅らせた
・本能寺の変が起こりうる条件が満たされた稀有な瞬間を光秀は見逃さず、天魔に魅入られたかのように行動に移した
・本願寺降伏後の佐久間信盛の追放により、光秀は自分の運命を見たような気持ちになったのではないか
・情報流通が限られていた時代に全体情勢を把握していた人物は一握り
・限られた兵力を東西に機動的に運用することで戦線を維持していた
・太平洋戦争では日本軍が攻勢終末点以上に作戦範囲を広げたことが重大な敗因となった
・職分に応じてリーダーシップの性質を変えていく柔軟性
・勝家は主家簒奪を謀る秀吉の醜さを映し出す「曇りなき鏡」であり、消し去る必要があった
・長篠合戦のポイントは「鉄砲の三段撃ち」ではなく鉄砲の集中運用。計画立案者が塙直政だった?
・ダメージコントロールの重要性。決定的な破滅を回避するのは決して不可能ではない
・貿易都市・堺は情報収集に適した場所。茶席が情報交換の場
-目次-
第1部 信長の親衛隊
第2部 歴史を彩った男たち
第3部 反逆者の肖像
第4部 悲運の将星
第5部 異色の群像
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