読書メモ

・「「本能寺の変」本当の謎 〜叛逆者は二人いた
(円堂晃:著、並木書房 \1,900) : 2006.04.15

内容と感想:
 
本能寺の変の謎を新たな視点で解明した書。 副題の「叛逆者は二人いた」を見てどう思うだろう。表紙帯には「真の叛逆者は光秀ではなく、信長だった」とある。 これを見て、これまでの定説で凝り固まった私の頭は??である。
 これまで多くの歴史家や研究家、小説家などが本能寺の変の真相を解明しようとしてきた。 様々なことが語られてきたが、私もそれら全てに目を通しているわけでもなく、どれほどの説があるのか見当もつかない。よく題材にされるのは信長を死に追いやった真の犯人は誰だったのか?という謎である。 勿論、本書もその点には触れているが、著者は光秀謀反の原因だけではなく、本能寺の変という事件そのものに多くの謎が秘められていると指摘している。 それらの謎を一つ一つ解明していくと、驚くべき真相が見えてくるのだ。
 普通、日本史で「xxの変」という場合、政変など政治的な事件で用いられる。一方、「xxの乱」という場合は時の権力者に逆らう、反乱を起こす、戦争を起こす場合などに使われる。 実質信長は最高権力者だったから「〜乱」が使われてもおかしくないが、信長は天皇でも将軍でもないので「〜変」となったのだろう (まだ、関東以北も中国以西も信長の勢力下にはなかったから)。 しかし、本書の説のように信長が天皇をなきものにしようとしたのであれば「〜乱」になってしまう。 信長のクーデター未遂事件ということになる。実際には信長の手足となるはずの実行部隊・光秀は別の方向に動いたのだから、 天皇にはなんら危害は加えられなかった。
 現代のように情報伝達が遅い時代、乱を起こそうとした信長を討った(天皇にとっての)忠臣のはずの光秀が悪役にされ、 支援を得られなかった光秀は、電光石火で動いた秀吉に討たれる。ことの良し悪しは別として、結果的に秀吉が天下を取った。 秀吉は実に巧妙だった。もし本書の説が正しいとすると、秀吉が光秀を討った理由が分からなくなる。 しかし、信長が天下一統をもう少しのところで成し遂げようとしていただけに、信長不在の政権が弱体化し、 再び戦乱の世に後戻りしてしまうことを秀吉は恐れた。信長・信忠なき織田家には求心力のある人物はいない。 跡目争いが勃発し内紛が起きるのは必至であった。勝家、光秀、家康らと協力して合議制のような形にすることもあったかも知れないが、 秀吉は賭けに出た。確かに彼にも天下取りの野望があった。絶好のチャンスと判断し即、動いた。スピード思考の持ち主だったのだろう。 忠臣・光秀に主殺しという汚名を着せて情報操作し、うまく彼を追い詰めた。しかも自分に正当性を持たせるために、不利な情報は全て抹殺した。
 もし光秀が信長の命に従って天皇排除を実行したとしたら、物理的には簡単なことであっただろう。 しかし光秀には天皇家を滅亡させることは出来なかった。天皇家は日本の祭祀の元締めだ。神道の司祭者がいなくなった日本がどうなるか、光秀は恐れたのかも知れない。 天下統一が実現し、一時的に信長の国になったとしても、神の国・日本はより乱れると光秀は考えたのではないか。しかも天皇家を討つ大義名分がない。 まだまだ迷信が強かった時代だったろうし、天皇の祟りも恐ろしい(井沢元彦だったらこう言うだろう)。
 本書の説に従えば、天皇に弓引けと、光秀に命じた信長こそが叛逆者である。勤皇の士・光秀としては、信長に従って朝敵と呼ばれるよりも主殺しと言われる道を選んだのかも知れない。 従って、著者によれば本能寺の変は光秀の発作的な犯行ではない。信長に対する怨恨のようなものでもない。 信長なき後、光秀は毛利家の庇護にある義昭を呼び戻して、足利幕府を再興しようとしたのではないかとも言っている。

○ポイント
・一部の公家ら朝廷内では事件の真相を知っているものがいたはず。
・光秀が歌ったとされる有名な「ときは今」の連歌の謎
・安土城天主閣は塔として作られた。”天守”ではなく”天主”と書かせたのは信長自身が天の主(神)として君臨することを示唆している。
・本能寺の変が起きた時間の謎
・光秀が奇襲には不向きな大軍で攻めた謎
・久々の信長の上洛で厳戒態勢の京都にそんな大軍の行軍が不審に思われず、駐屯していた信忠軍が機能しなかった謎
・信長は将軍になりたかった
・光秀の地位は低下してはいなかった

-目次-
第1部 「本能寺の変」を追う
第2部 もう一人の叛逆者
補遺