読書メモ

・「信長の挑戦
(邦光 史郎:著、徳間文庫 \440) : 2006.10.22

内容と感想:
 
織田信長の生涯とその時代の概観をつづった本。 「はじめに」では信長という人を「戦国時代という非情極まりない時代が生み出した魔人」、ヒトラーとの共通点も指摘している。 しかし人種差別で大量虐殺したヒトラーと一緒にしてもらうのは信長贔屓の日本人としては心外である。
 「あとがき」にもあるように、信長は天才戦術家ではあったが、家臣に敬愛される主君でも、領民が慕い寄ってくるような名君とも言えず、 君主としての徳に欠け、王者の風格もなかった、というのは彼が本能寺で倒れることになった根本の要因であるのかも知れない。 当時の世論は知る由もないが、現代の情報伝達速度には比べるべくもないが案外、それでも国民の不人気は広がっていたのかもしれない。 それを信長本人が気付いていたかどうは分からないが、光秀は十分承知していただろう。そのまま日本が統一されても、 信長の治める世が華やかな桃山文化のような明るいイメージとして描けなかったのかも知れない。国の将来に不安を感じて、我こそが天下人に 相応しい、器があると考えたのかも知れない。秀吉も心情は光秀と共通していたかも知れない。信長に取って代われるものなら自分こそ、と思ったに 違いない。だからこそ事件を知ったときは光秀に先を越されたと一瞬焦ったことだろう。
 本書では光秀の謀反についてはさらっと、従来の歴史認識と同じような記述になっていて、 深く踏み込んでいない。その点に不満が残る。何らかの考察が欲しかった。

○印象的な言葉
・戦国時代は全国的に経済発展していた。飛躍的に生産性を高めた稲作や各種生産物、流通経路の広がり、交通路や交通手段の発達など
・戦国時代、宮廷の財政事情は逼迫。献金と引き替えに官位官職を授けた
・太田牛一の信長公記は脚色が極めて少ないと評価されているが、信長に心酔しきった彼の信長観ではある。小瀬甫庵の信長記は高い評価ではない。
・戦国時代、合戦の形態も変化していた。騎馬武者同士が名乗りを挙げてのような戦いから、足軽による集団戦へ。
・当時、日常尾的に繰り返した小規模な合戦は一進一退の、互いに致命傷を避けた合戦の連続だった
・延暦寺の焼き討ちの後、信長は寺の復興を認めなかったが信長の死後、秀吉により復興が実現された
・越前の一向一揆の掃討戦あたりから殺人狂ともいうべき狂気が、彼の天才ぶりを次第に覆い隠すようになっていった
・信長にとってはキリシタンもまた単なる異国の坊主に過ぎなかった
・信長の恐怖政治が(安国寺恵瓊にでさえ)周囲の者にも分かるくらいに、家臣を萎縮させ、信長への畏れが恐怖に変わっていた
・前田利家:戦国時代で出世した代表格の一人。秀吉より多くのものを残した
・細川家:信長・秀吉・家康の三代の盛衰のもとで敗者を選択する誤りを犯していない

-目次-
序章 戦国時代 ―近世への胎動
第1章 大うつけとより外に申さず候 ―群雄割拠と信長の誕生
第2章 人間50年、下天のうちをくらぶれば ―樋狭間の戦い
第3章 天下布武 ―信長包囲網と殺戮戦
第4章 高ころびにあおのけにころび ―安土築城と本能寺の変