読書メモ

・「
(甲野善紀, 井上 雄彦:著、宝島社 \1,200) : 2006.07.17

内容と感想:
 
古武術の甲野氏と漫画家・井上氏との対談集。「スラムダンク」でブレイクした井上氏は現在、宮本武蔵を題材にした「バガボンド」を 週刊モーニングに連載中。「バガボンド」は「スポーツマンガの身体」(齋藤 孝 :著)の影響で 単行本を買い集めて読んのだが、「スラムダンク」とは明らかに絵自体が変化しているのに驚かされた。 当然、主役が宮本武蔵だから日本古来の武術には井上氏は関心がある。その二人の対談であるから本の題にあるようにテーマは自然と 武士、武士道ということになっていく。
 甲野氏のスポーツや日常生活への古武術の応用などはTV等でも広く紹介されるようになったし、 宮本武蔵もNHKで再ドラマ化され(2002年)、新渡戸稲造の「武士道」も最近、見直されている。 これらは何か時代が自然にそういうものを求めてきたということなのかも知れない。 日本では武士が支配階級となって明治維新まで数百年もその体制が続いた。軍事政権がそれほど長く続くことは 世界的にも稀だそうだ。それが維持できたのは武士が禅という文化を持ったことが大きいと甲野氏は言う。 命のやりとりも一つの出会いと捉え、独自の美学を生み出していった。名誉を重んじ、人間としての品格を尊重する 武士道となっていった。また武士とは「自分の美意識に殉じる人」、とも定義している。
 甲野氏は技術や経済は発展しても相変わらず戦争を繰り返す人類に対して恐ろしいことも言っている。 人間には天敵がいないから自然淘汰されず増えすぎてしまう。殺し合うことを認める部分を持っているのではないか、と言うのだ。 戦争をしないようにすると人間の精神も変形して、かえって別の問題が起きているのでないかとも言っている。 これはある意味、当たっているだろう。人間というものをよく観察している。
 ところで先日終わったサッカーW杯決勝戦で仏代表のジダンが相手の伊代表マテラッツィに頭突きして退場になったのが 未だに話題になっているが、その事件を考えさせられることが第五章に書かれている。 ジダンが何を言われたかは正確には伝えられていないが、TVでも本人が話していたことを解釈すれば 本書で井上氏が言うように「自分が大事に思うことを守るために怒った」のであろう。つまり著しく相手が礼を欠いていた、ということだ。 ジダンは頭突きという行為を子供達の前でやってしまったことについては反省しているが、後悔はしていないようだ。 全ての非難を受けるつもりで退場も覚悟の上で行為に及んだのであろう。それほど耐えられない侮辱を受けたのだろう。 暴力行為自体は正当化できないが、事件の後に本書を読んだこともあり彼が持つ武士的な姿勢には共感を覚える。 結局、非礼で品がない方のイタリアが優勝したのだが、そのイタリアでは八百長騒ぎで名門ユベントスなどの降格が決まるなどイタリアと いう国自体にも考えさせられる大会であった。

○印象的な言葉
・戦乱の時代が終わったために実技を極める必要性がなくなり剣術は精神世界に走ったのでは?
・武術書「五輪書」が世界で読まれたのは分かりやすさ。ある意味で武蔵は日本人らしくなかった
・運命が決まっていると同時に自由
・矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う
・心から納得して「これだ」と思うことが悟ること。最高の価値観。
・自分自身に納得しても、その自分を冷めた目で確認をとりながら進む。気を抜くと自己完結してしまう。
・準備をしない、予測しないことで速く動ける
・武術ではパワーとスピードを高める方法は同じ
・ウエイトトレーニングの先に大きな成功はない。バランスの悪い身体になる
・武術では準備運動、整理運動はしない。身体全体をうまく使っていたら不要。偏った動きをしているから必要になる。
・鎧は手で持つと重いが着れば軽くなる。重量が身体全体に散るから
・才能のある人間は反復練習の中でも毎回新しい試みをしている。だから飽きずに続けられる
・順境に育った人はトラウマのような嫌な思い出がない分、苦境を苦境とも思わないプラス思考をもつ?
・「これが良い」ではなく「まだまし」と考える

-目次-
第1章 剣豪、宮本武蔵とは何者か
第2章 武術の奥義、スポーツの技
第3章 常識にとらわれない武術の発想法
第4章 武士、豪傑たちの勝利学
第5章 新しい武士道の生き方