読書メモ
・「くんずほぐれつ」
(齋藤孝:著、文藝春秋 \1,000) : 2005.07.03
内容と感想:
著者がようやく定職についた頃に書いた教育についてのエッセイ集。2002年に出た本だが、内容は1993年から1996年頃に書かれたもの。
もともとは同人誌の名前だったそうである。本書の題名の意味は「あとがき」に書かれている。
ここでは教育がテーマだが、私なりの理解では自分達にとって大事な問題をみなで考えていく。そういう場があちこちに出来て、
地下茎のように広がり、「くんずほぐれつしながら、権力の中心を持たないクリエイティブな関係を結んでいく」ようなイメージである。
教育問題に限らず、今我々日本人に本当に求められているのは、真の市民たることだろう。
政治は市民からは遠く、国民は白けている。選挙の投票率も低い。にもかかわらず不満を言うだけで、国民は何も動こうとしない。
真剣に自分の問題と思っていないからだ。成熟した市民とならねばならぬ。
最後の章で高校時代の出来事を振り返ってこう書いている。
「積極的に手を下さないまでも、何も抗議しない傍観者の立場に留まることによって、僕らは確かに事態に加担して」いる。
これと同じようなことが多くないだろうか?
印象的な言葉:
・力があるから緊張する。緊張しなくなったらもう駄目
・都市生活に必要な市民的公共性が足りない日本
・学校教育により、日本人に自発的服従による自己管理が浸透してしまった。正当な意見を主張する仕方を知らず、権威を自他に確認する機を逸する。
・「忙しい?」と聞かれたら「むちゃくちゃ暇」と応えよう
・細部にわたる管理による魂の緩慢な殺害は、それを死と感じさせないほどにささいであるため、レジスタンスへの怒りへ到達することを未然に防いでいる
-目次-
・「カモン、ユーア・ガイズ!」
・サモアのバスは冷えた身体を暖める
・闇を共有する権利
・合言葉は「換骨奪胎」
・かったるい身体の過剰なエネルギーの行方
・価値感の時代の到来
・ドン・キホーテは、なぜ死んだのか
・教師の資質としての偏愛=抵抗の構え
・スタイル間コミュニケーションの方へ
・ビルドゥングの技法としての密封錬金術
・怒れる市民への成熟
・半歩踏み出す身振りの技化
|