読書メモ
・「過剰な人」
(齋藤孝:著、新潮社 \1,300) : 2005.11.20
内容と感想:
著者はこの本を書く20年前は仕事もなく、エネルギーを持て余していたという。いつかはドストエフスキーの本を出したいと思っていたそうだ。
彼が偏愛している作家である。
この本は目次を見ると分かるようにドストエフスキーの主な著作を題材にして、ドストエフスキー小説に登場する人物の”過剰さ”を楽しみながら解説している。
その過剰さに著者自身も刺激されて、いつもよりも筆に勢いが出ているように感じられる。
過剰とは”癖の強い”とも言い換えている。
なぜ今、ドストエフスキーなのかと私も思ったが、まえがきで書いているように、現代日本人のパワーが、エネルギーが年々減ってきていると著者は感じている。
癖のある人が減っているのだ。高度成長期の日本を引っ張ってきたのは、「プロジェクトX」的な過剰な人だったのだ。
現代日本からそういう癖の強い人間が減ったのは、減点主義にあると著者は感じているようだ。
皆、大人しく、ほどほどにしか行動できないような教育を受けてきてしまったのかも知れない。著者はそんな日本に危機感を感じているのだ。
取り上げられた小説の登場人物たちは皆、それぞれ過剰さが違う。
どう過剰かというと、過剰に卑屈、同情的、男を揺さぶる、素朴なモテ男、自意識肥大なひきこもり、凶暴、期待はずれ、好色、などなど。
私は恥ずかしながらドストエフスキーの本をまともに読んだことがない。ロシア小説というだけで何か暗く、マイナーなイメージがある。
旧ソ連時代の印象が強いのかも知れない。
全部読み通してみたが、どうも私にはドストエフスキーの本が読みたいと思えない。確かに出てくる人たちは過激で個性的である。
著者は時にはドストエフスキーを読みながら、笑ってしまうくらいに面白いそうだ。
これを面白いと思えないということは、既に私はガス欠状態なのかも知れない。
まえがきで著者はもう一つ大事なことを言ってる。「人間のエネルギーは、一人で勝手に出てくるものではない。うまく受け止めてくれる相手がいることで次々に噴出してくる」
今ひとつ元気のない日本がもっと元気になるには、個人個人が奥底からもう少しエネルギーを噴出して、互いにエネルギーを全身に浴びるイメージを意識していくとよいのかも知れない。
印象的な言葉:
・ドストエフスキーが描く人々は危険な加速度を持って回転している。どうしようもない人々だが、堂々と生きてる。居場所を持っている。
・現代人は癒しを求めているが、疲れているのではなく、むしろエネルギーが溜まって、だるいのではないか?力を発揮していない。
・若者の変わり行く可能性。未来を見てあげる。
・無駄な自意識から免れることで、エネルギーの浪費がない。自分自身に煩わされない。
・(引きこもりの状態でいると)自分との対話の回路ばかりが発達し、自意識の高速回転回路ができてしまう。自分の計算した範囲でしか動けなくなる。成長も難しくなる。
・人間は生きられるものだ!どんなことにでも慣れられる存在。自分で考えているよりもずっとタフなのだ。
・人間の生命力。善悪を超えた強さ
・賭けは麻薬。金が問題ではなかったりする。日常生活にない熱狂と絶望。幸運の熱狂が染み付いて離れなくなる
-目次-
「罪と罰」
「白痴」
「地下室の手記」
「死の家の記録」
「賭博者」
「悪霊」
「カラマーゾフの兄弟」
フョードル・ドストエフスキー
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