読書メモ
・「声に出して読みたい方言」
(齋藤孝:著、草思社 \1,500(CD付き)) : 2005.05.29
内容と感想:
私は福井の生まれの田舎者である。福井弁なるものもしっかり存在する。
(でも福井市内ではないため、コテコテの福井弁には実は違和感を感じている)
しかし、それが言葉という無形のものであるため、その存在が果たして「しっかり」したものかどうかは分からない。
ましてや現在は生まれ故郷を離れた生活をしており、方言の出番はない(無意識に使っているかも知れないが)。
著者も「はじめに」で方言の急速な衰退が深刻であると憂えている。
方言には力強さや温かみがある。その土地の風土、身体感覚(五官で感じる感覚)が染み込んでいる。
「からだを揺さぶる英語入門」でも言っていたが、方言と標準語の両方を使い分けられるのは、
言語のモードチェンジができているということ。英語へのモードチェンジも可能であると。
この理論はちょっと飛躍していると思うが、本書ではいわゆる名文といわれるものを各地の方言で書き換えられている。
それを朗読したCDが付いていて耳で楽しめる。
大阪弁や京都弁、名古屋弁などTVでもよく耳にする方言は意味も大体分かる。
しかし、鹿児島弁や沖縄弁となると意味不明である(失礼)。東北弁のように訛っている、というレベルではない。
まったく別の言語としか思えない。
著者は「あとがき」で方言は文化遺産である、といっている。全くその通りと思う。
日本人の全てが標準語しか離せない時代が来るかどうかは分からないが、
タイムスリップでもしてそんな時代に放り込まれたとしたら、きっと味気ないことであろう。
方言はその土地で生まれたことを実感できるアイデンティティであり、同じ日本人でも話す言葉の微妙な違いが面白いのである。
個人的には暇があったら、いつか京言葉の「源氏物語」の朗読を全編聴きたいなと思ってる。
癒されそうです。
-目次-
・開き直った肚のある身体になる(広島弁)
・お祭りのときの沸き立った身体になる(博多弁)
・身も蓋もないおかしみを醸し出す身体になる(名古屋弁)
・重いのにハイテンポな不思議な身体になる(津軽弁)
・気骨のある身体になる(鹿児島弁)
・しっとりと落ち着いた身体になる(京都弁)
・陽射しを浴びた開放的な身体になる(沖縄弁)
・海を見てふーっと大きく息をつく身体になる(土佐弁)
・ほっとほどけて温かい身体になる(秋田弁)
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