読書メモ
・「国民の歴史」
(西尾幹二:著、 \1,714、産経新聞社) : 2003.01.24
内容と感想:
まだ記憶に新しい(平成14年度の中学生向けの)歴史教科書問題。教科書採用を巡っては、日本全国に、更には韓国・中国など近隣諸国にも物議をかもした。著者はその「新しい歴史教科書をつくる会」の会長である。この会が作成した教科書の現場での採用はごくわずかに留まったらしいが、会の活動はいろんな意味で問題提起としての価値が十分にあった。彼らは別に軍国主義を復活させようとか、天皇は神様です、と言っているわけではない。戦後、敗戦国として(占領軍に押し付けられた)自虐的な史観で書かれた歴史教科書に見直しを求めたに過ぎない。このままでは日本人は駄目になる、という危機感の表れである。ある意味、国民の目を覚まさせる効果はあったと思う。
「自虐史観」なんて言葉もこのときから使われたのではないだろうか?中学生に日本の歴史を教えるのに「絶対」的な正解はないだろう。そもそも歴史は語られ伝えられるものであり、時代の経過とともに変化していくものである。過去から見るから歴史であって、本当のことは現在進行形で体験した者にしか分からない。その事実にしても別の者から見れば、感じ方は全然違ったりするのだから。
私も興味があって市販もされたその「新しい歴史」教科書を(借りて)ざっと読ませてもらった。それはいったい多くの教育関係者が採用を渋る原因はどこにあるのかを確かめたかったからである。一番問題とされ、対外的にもデリケートな部分は明治維新以降、第二次大戦までの現代の記述だろう。確かに読む立場や読み方によっては、気に障る部分もないとは言えなかった。しかし特に過激な描写があるとも、(好戦的になるとか)子供へ悪影響があるとも思えなかった。
そもそも歴史は教えるのが難しい分野なのである。同じ教科書を使っても教え方によっては教師の思想が反映されないとも限らない(子供への影響は大きい)。
兎に角、教育者には、日本の未来を担う子供に教えなければいけないことは何なのかをまず考えて欲しいもの。いつまでも「日本は侵略戦争をした悪い国です。反省しましょう」、「(侵略先に)ごめんなさいと言いましょう」、なんて言い続けるべきではない(私はそんな風な授業を受けた覚えはないが。そもそも時間がなくて現代史までたどりつけないのが多くの教育現場なのではないか?)。もっと前向きに教育すべきだ。過去の反省は反省として。
一番不幸なのは教科書を自ら選べない子供たちだ。子供たちに大きな声で言いたいのは(特に歴史なんかは)本に書かれていることが全て正しいわけじゃない、と知れ、ということ。常に疑問をもって自分の頭で考えて責任をもって判断しろ、ということ。
ある人から見れば真実であっても、別の立場から見ればその逆であったりするのだ。戦争を容認するわけではないが、太平洋戦争にしても日本(の首脳部)は正当と考えて開戦に踏み切ったのである。負けたら悪者にされるのが歴史である。敗者の歴史は闇に葬られるのが歴史の常。日本でもこれまで時の権力者は自らの(勝者の)正当性を維持するために、不利になるような(敗者側の立場で書かれた)書物などは廃棄して来たのだ。
さて、本書は700ページを越える大部の「歴史、史観論集」である(勿論、教科書でもない)。著者は歴史が専門ではない(ドイツ文学が専門らしい)。それゆえに我々が感じている歴史への疑問に同じような立場で取り組んでいる。「新しい歴史」教科書が発行されてから後に、購入したのであるがしばらく”積ん読”状態であった。まず本書を開いて誰もが目を引かれるのは巻頭を飾る数々の仏教彫刻の写真である。最初は内容とどういう関係があるのかと疑問に思うだろう(著者の意図は13章に書かれている)。
読み始めの頃は、「日本人は優秀な民族だ」的な主張が多少鼻についたが、実名で扱き下ろしている研究者もいれば、褒め称える者もいたりして、読み進める内に著者の歯切れのよさに引き込まれ、読まされていく。ただし、中国人や韓国人の方が本書を読むと不快に感じる記述が多いかも知れない。私も意見が一致する所もあれば、賛成できない所もある。著者はどうしても日本を中国文明とは切り離しておきたい、との立場であるらしい。
教科書問題が真っ盛りの頃、著者らがTV討論番組のようなものに出演しているのをちょっと拝見した。「新しい・・」会派は多少、過激な論調といった印象であったが、それまで先入観で彼らが単なる右翼の集まりだと誤解していたのを、そのとき考え直した。「新しい歴史」を読まないで、また会の主張も知らないで、ただ反対をしている人たちはよく考えて欲しい。できたら本書も読んでみて欲しい。特に最終章は歴史には関係ないが、よくよく考えさせられるから(それまでに読んできたことがどこかへ飛んでしまう)。
更新日: 03/01/29
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