読書メモ
・「逆説の日本史7 中世王権編」
(井沢元彦:著、 \600、小学館文庫) : 2003.05.18
内容と感想:
シリーズ「逆説の日本史」の文庫版の第7巻。
これまでのシリーズでは「穢れ」、「怨霊」、「言霊」といったキーワードが飛び交っていたが、本巻は影をひそめたかな?しかし当時の日本の政治、思想にもこのような言葉が示す考え方が根強くある。
本巻でカバーする時代は以下の目次にあるようなトピックが登場する「太平記」から戦国時代への入り口までの時代。14世紀〜15世紀半ばのことである。
第一章 尊氏対後醍醐編
第二章 「太平記」に関する小論編
第三章 尊氏対直義編
第四章 「日本国王」足利義満の野望編
第五章 「恐怖の魔王」足利義教編
鎌倉幕府という武家政権が崩壊した後、後醍醐天皇は朝廷に再び権力を呼び戻そうと、日本史でも習った「建武の新政」という政策に取り組む。しかし何ら成果はなかった。新政に反対する関東武士の反乱を抑えるために、関東出身の足利尊氏を送り込んだにも関わらず、今度はその尊氏を討つために、新田義貞を派遣する。しかし尊氏はこれを撃破し、京へ進撃。結局、後醍醐は吉野へ逃げ出したことで南北朝という2つの政権が並立するという奇妙な時代に入る(1336〜1392年)。関東武士のはずの尊氏は関東での基盤が弱いため、京の室町で幕府を開くしかなかった。「三種の神器」なしで(後醍醐が持ち去ったため)光明天皇を立てたことで、天皇家は分裂した。(第一〜三章)
しかし三代将軍・義満の代になって、南朝は軍事的な力を失い、北朝と講和した。著者は南北朝の統一を義満の最大の功績と評価する。著者には「天皇になろうとした将軍」という著作があるが、この将軍とは義満のことで、実際に天皇家乗っ取りを画策したようである。しかし義満の急死で彼の野望は打ち砕かれる。著者はこれは朝廷側の手による暗殺だと見ている。(第四章)
義満の子で、四代将軍・義持の弟でもある義教が六代将軍となったのはなんと、クジ引きの結果であった。著者は彼の功績を3つ挙げて(九州制覇、比叡山制圧、鎌倉府覆滅)、これまでの義教に対する散々な評価を批判している。幕府の絶対的権力確立のために、軍事力を背景に強権を駆使した。それもこれも国家安定、秩序回復のためである。しかし権力確立完成の直前に彼も暗殺される。当時の人に「天魔王」と恐れられた義教の死について著者は、後の織田信長の死との共通点を指摘している。(第五章)
更新日: 03/05/18
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