読書メモ

・「逆説の日本史2 古代怨霊編
(井沢元彦:著、 \657、小学館文庫) : 2003.08.16

内容と感想:
 

第一章 聖徳太子編
 厩戸皇子(うまやどのみこ)は死後、なぜ聖徳太子と呼ばれたか、なぜ天皇になれなかったかなど謎の多い人物。一万円札に太子の肖像があったのはいつの頃だったろう?
 用明天皇の子。皇太子でありながら、天皇になれなかった。
 伯母である推古天皇の摂政として働いたが、複雑な家庭環境もあって初めはノイローゼ気味で政務どころではなかったらしい。事実、4年間も飛鳥の地を離れ、道後温泉で治療していたらしい。
 「聖徳」とは死後、彼に送られた謚号(贈り名)である。その「聖」と「徳」という文字が意味するものとは?
 「徳」が使われた名にはその人物が普通の死に方をしていないことを示すらしい。彼の埋葬の仕方も普通ではないらしい。
 いったいどういう死に方をし、その後の一族の運命は?

第二章 天智天皇編
 「大化の改新」で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が即位して、死後に天智天皇と謚号された。
 日本書紀に彼の天皇陵の所在が記されていないのは?彼の死にも謎がある。
 大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇)は本当の兄弟か?”天皇家は万世一系”を否定する血統の変化があった?
 百済救済のため朝鮮半島へ軍事介入した原因と結果。外交問題も彼の死に大いに関係があった。当時の中国大陸、朝鮮半島の状況とは?

第三章 天武天皇と持統女帝編
 天武天皇は天智天皇とは兄弟ではなかったという説を更に発展させ、天武とは一体何者だったか?
 天武は”壬申の乱”で天智天皇、大友皇子(明治になってから弘文天皇と謚号された!)父子一族を滅亡させた。
 その天武が編纂させた日本書紀に、天智天皇の死の真相が書かれるわけがない。
 持統女帝は天智天皇の娘であり、天武天皇に嫁いだ後、天皇になっている。
 天武系の血統はその後、称徳女帝で途絶え、再び天智系へと代わって現在に至っている。

第四章 平城京と奈良の大仏編
 奈良の大仏は天武系の聖武天皇が作らせたもので、天災や社会の乱れを仏の力でなんとかしたいと考えた、と我々は教えられた。それ以外に、時の権力者・藤原家の四兄弟が次々に死んだことが、彼らが死に追いやった皇子や親王らの祟りであると認識し、これを恐れ、怨霊封じを仏に願ったものであったらしい。
 その藤原四兄弟が天皇家に対して行った非道とは?
 その平城京と大仏を捨てて、平安京に遷都した桓武天皇の意図は?

<メモ>
 著者はかねがね日本の歴史学界の「宗教的・呪術的側面の無視または軽視」という欠陥を指摘している。そして独自の視点で怨霊信仰が日本史に与えてきたものを分かりやすく読み解いている。
 芥川龍之介が短編「神神の微笑」で日本人の宗教への感覚を見事に捉えていることを著者は指摘している。

更新日: 03/08/17