読書メモ

・「栄光の岩壁(上・下)
(新田次郎:著、 各\590、新潮文庫) : 2003.08.02

内容と感想:
 
実在の登山家・芳野満彦をモデルにした山岳小説。
 主人公・竹井岳彦は日本人初のマッターホルン北壁登攀に成功する。物語はこの華々しい記録をクライマックスとするが、始まりは太平洋戦争中の少年時代からである。上下二巻、全四章からなる本編は、第一章で岳彦の登山への目覚めを描く。昭和18年、小学六年で同級生らと富士山に登頂。東京大空襲にも遭遇。終戦を迎え、戦後は学校よりも買出しの日々。そんなある日、丹沢へ買出しに出掛けついでに丹沢山に登った彼は復員兵に出会い、山が好きであることを確信する。山岳会にも入り、あちこちの山へ出掛けるようになる。そして運命の日が訪れる。同級の河本峯吉と冬の八ヶ岳縦走に挑むが、河本は凍死、自身も凍傷で両足の一部を切断するほどの重傷を負ってしまう。歩くことも困難と思われたが、文字通り血の滲むような歩行訓練を繰り返し、山に出掛けられるほどに回復する。しかし両足の障害は登山にはハンディとなることは確かではあった。
 二章では凍傷による治療で一年遅れの高校三年生となってから、大学受験には目もくれず気持ちは山に向かっていた。休学して厳冬の上高地の徳沢園の冬季小屋の番人を、ただ一人で務める。春になり山を下りて、再び高校三年生になると両親は彼に卒業だけはするように迫る。無事卒業するが受験はせず、山へ向かった。そして二度目の小屋番をするが、兄一郎の願いを聞いて途中で山を下り、大学受験し、その一つの大学生となる。大学生の夏、前穂高でザイルを組んだ辰村昭平を失う。この事件は岳彦の気持ちを暗くし、再び彼を徳沢園の小屋番へ向かわせる。春に山を下りても、大学に行く気にもなれず結局、山へ戻ってしまう。そして前穂高へ老人・谷村弥市のガイドとして登攀中、谷村を死なせてしまう。山で同行者を失うのはこれで三度目で、彼への風当たりも厳しくなる。昭和30年には小屋番をしながら、ある山岳会の冬の前穂高岩壁登攀に案内役として同行し成功させる。31年正月には複数の山岳会の有志らとの混合パーティで北岳バットレスを成功させ、山の世界では彼の名も知られるようになる。
 三章では北岳で一緒になった吉田宏に紹介された登山用具会社の社員となる。広告をやったり製品開発をやったりしたが、落ち着くところは会社の宣伝のための巡業であった。彼が作った山の映画と彼の講演を全国各地でやるのだ。このときに後に妻となる毛利恭子と水戸で出会う。福井の地では東尋坊のロッククライミングで、後にヨーロッパ、アイガー北壁でのパートナーとなる片倉大五郎に出会う。会社員となった岳彦は久しぶりに吉田と谷川岳に向かうが雪崩にやられ重傷を負い、入院。見舞いにくる恭子を歓迎するも、退院しても結婚を口にすることは出来ず、もどかしい日々を過ごす。山岳会の奥田の好意で箱根で、恭子に会う場を得ると、ようやく二人は結ばれる。岳彦は水戸の運動具店の婿に入る。
 四章では結婚後も山から離れられない岳彦にチャンスがやってくる。片倉が自分の会社の社長をスポンサーに、アイガー北壁挑戦に彼を誘ったのだ。身篭った妻を日本に残し、彼は初めての海外遠征に向かうが、天候に恵まれず、アタック半ばで勇気ある退却を決断し、帰国。スポンサーの社長は彼らを慰めるが、二度目のスポンサーにはなってもらえなかった。帰国直後、恭子が出産、長女・嶺花を得る。運動具店の主人という仕事は岳彦には不向きであった。アイガーを撤退した敗北感も残る。そのままでは駄目になりそうな夫を恭子が支援する。今度は吉田と自費でアイガーに向かう。しかし天候に恵まれないと知ると、ヨーロッパ三大北壁の一つ、マッターホルン北壁へすかさず目標を変え、苦闘の末、これを制覇する。しかし成功の後の彼の姿はなぜか淋しげであった。

<メモ>
 山岳小説であるが、一章「傷ついた戦後派」では山よりも戦中・戦後の市民の生活や、空襲の様子などが描かれ、戦争を知らない世代には興味深かった。そして戦後の混乱や彼の怪我が余計に岳彦を山へ向かわせる背景となったことは、なんとなく理解できた。大学受験など目標を持てるものはよかったが、彼のように山にしか気持ちを向けられない者も多かったという。そういう人が戦後、数多くの記録的な登山をやったりした。
 足の一部を凍傷で失った岳彦の登山は凄まじい。登山靴の中を血でグショグショにして困難な岩壁に挑むのである。最期のマッターホルン北壁登攀も鬼気迫るものがある。読む方も緊張の連続である。しかし登頂後、栄光の岩壁を眺めながらも、彼を虚しくしたものは何であったのだろう。確かに達成感もあるだろう。しかし多くの人々に迷惑もかけた。屈折した青春時代もあった。ハンディのある足で山に登るために人一倍の努力もした。全てはこの日のためにあったのだと実感した瞬間、全ての重荷から解放されたという虚脱感のような感覚だったのか?ある意味、ケジメがついたとも思えただろう。

更新日: 03/08/03