読書メモ
・「コンピュータは、むずかしすぎて使えない!」
<原題:The Inmates are Running the Asylum>
(Alan Cooper:著、山形浩生:訳 \2,200、翔泳社) : 2003.09.20
内容と感想:
著者のAlan CooperはMicrosoft社のプログラミング言語Visual
Basicの開発者で、「彼を知らないソフト開発者はもぐりだ」と言われる(私は知りませんでした。もぐりです)。現在はMicrosoftを退社・独立し、ソフトウエア・デザインを提供する仕事を行っている。本書にもコンピュータ上で動くソフトウエアのデザインに関する、彼の意見がたくさん書かれている。巷には「コンピュータおたく」(Homo
logicus)が作り散らかした、操作性・ユーザ軽視のソフトウエアが溢れていると嘆く。これが日本語版の本書の題にもなっている(原題を訳すると「キチガイの仕切る精神病院」となるらしい。これでは日本では発売できないだろう)。それもこれもソフトの開発プロセスに問題があると指摘する。デザインが軽視されていて、酷いものが多過ぎる。Microsoft社製品も構わず扱き下ろしている。しかし訳者が巻末で、「そうしたソフト蔓延の理由の一つは(氏が開発した)Visual
Basicの存在」と指摘しているのが面白い。
そうした状況が現在も続いているのは、結局誰も文句を言わないからで、製造・販売側もユーザの不満に気付かないからだ。私も日常使用するMS-Officeファミリ製品などに文句を言いたくなることはあるが、確かにはっきりとMicrosoft社へ文句を言ったことはないな。バージョンアップするたびに増えていく機能の数々。一般人には使わない機能がほとんどだろう。こういうソフトを「水ぶくれウエア」というらしい。本当に必要な機能が埋もれてしまい、すぐに必要な機能を呼び出せないのだ。当然不満で苛立つ。
本書で氏が指摘するのは、世の中にはそういったソフトを弁護する人種と、使いこなせなくて馬鹿にされた気分になる人種の二つがあるということ。前者はソフトは難しくて当たり前、それを使いこなすことに意義を感じるような人達で、Homo
logicus型の人々だ。ソフトウエア開発会社はその製品開発がHomo
logicusたちに仕切られているために、一方の立場の人の気持ちがわからない。操作性などは二の次なのだ。そういったソフトを本書では「踊るクマ」ウエアと読んでいる。Homo
logicus達にとってはそのソフトが動けばよい(これを比喩したのが”踊るクマ”)と思っている。それを使えるメリットのためならば、操作上の問題も受け入れてしまうのだ。
しかし、ソフト企業はそうした体質のせいで、手に入れられるはずの市場を自ら失っているのだということを認識しなければならない。競合他社に奪われているシェアもデザインひとつで奪還することも不可能ではない、という。油断すれば気まぐれな消費者は、忠誠心の厚いユーザが多い製品を除けば、すぐに他社の製品に奪われてしまう。
そういった状況でこの業界で成功したい、ユーザが喜ぶような製品を作ろう、としたらどうすればよいか?まずデザインしろ、と氏は言う。デザイン(design)には広い意味があるが、単なる設計と訳すと、氏のイメージとは違う。もう少し狭い範囲の”設計”で、ユーザ・インターフェース(UI)に関する部分のデザインを指す。プログラマにはデザインはできない。デザイナーが必要となる。専属デザイナーが雇えなくとも、氏が開発した新しいデザイン手法がある。紹介されているのは、「目標手動型デザイン」というもので、「ペルソナ」と呼ばれる仮想ユーザを想定して、その人物がソフトを使って目標を達成するために何か効果的かを考えてデザインするのだ。この手法はなにもソフト製品だけに適用するものではなく、他の製品でも有効だろう。
製品の使いやすさを示す言葉に「ユーザビリティ」とか「ユーザ・フレンドリー」とかいうものがある。ソフト製品もそうした言葉を意識して作られているはずと、(Homo
logicus側の)私は弁護者(開発者のはしくれ)として感じているが、実際はどうであろう。ユーザの真の声を聞いたか?否。
私も初めて使うソフトに触れたとき、たまに「これ(操作性)、ユーザに優しいな」と感心することがある。でもすぐ忘れてしまうのだが。忘れてしまうのは、きっとそれが自然で当たり前のデザインのためだったのかも知れない。
本書はソフト業界だけでなく、広い意味で「もの作り」に関わる人にも役立つヒント・示唆を与えてくれるだろう。
更新日: 03/09/20
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