読書メモ

・「真田忍侠記」(上・下)
(津本陽・著、 各\619、講談社文庫) : 2002.04.22

内容と感想:
 
この春、4月東京から見知らぬ上田という地に越してきた。
 車で出かるうちに少しずつ、地理が分かってきた。が、道が分かっても上田を知ったことにはならない。気候、風土、歴史、人の気質などすぐに理解できるものではない。
 地元の人との交流も欠かせない。まだ日が浅いため、知り合いも少なけ心細いが、少しずつ馴染んでいければと考えている。
 上田と言えば、真田氏である。上田城は真田氏の居城であったし、戦国時代の真田氏の武勇は本(「真田幸村」等)や映画、ドラマなどで見聞きして知っていた。特に関が原合戦に向かう徳川秀忠軍を真田昌幸を戴く真田家が上田に釘付けにして、関が原へ遅参させたことや、後の大阪の陣(冬、夏)での幸村の活躍などは強く印象に残っていた。
 昔、子供の頃にはNHKの人形劇で「真田十勇士」を楽しく見ていたもの。
 今になって上田の地にいることも不思議な気がするが、改めて真田家を主役とする小説を読むことで、上田への理解が少しは深まるかなと思ったら、すぐに読みたくなった。
 ご存知、池波正太郎の「真田太平記」は新潮文庫でも全12巻と、なかなかヘビーである(いずれはじっくり読みたいと考えている)。
 そこで書店でふと目にとまったのが津本陽のこの本。表紙には上下巻それぞれに服部半蔵、霧隠才蔵のイラストが描かれ、本の題名からもだだの歴史小説ではないことを匂わせていた。裏表紙の概要に”津本忍法帖”とあるように、子供の頃に胸躍らせた、忍法合戦が津本氏の手でどのように描かれるのかに期待しながら読んだ。
 で、内容はというと、猿飛佐助や霧隠才蔵らの奇想天外な忍術だけに偏らず、史実に沿った形で、それでいて堅苦しくもなくバランスよく書かれていた。
 本書は毎日新聞(日曜本紙)に1994.11 〜 1996.9 の間、連載されていたとのこと。
 慶長5年(1600.09.15)の関が原合戦を遡ること15年、天正13年(1585)の上田城には徳川勢が攻め寄せていた。その数7千余。守る真田方はわずか2千。わずか4万石ほどの弱小大名・真田氏が255万石の太守・家康の軍を退けたのは痛快である。
 本書はこの戦いから書き始められ、幸村が大阪城落城、豊臣家断絶となった元和元年(1615)の大阪夏の陣で活躍・討ち死にするまでが描かれる。
 常に徳川家に敵対し、秀吉死後、関が原の後、紀州・九度山に流されて後も、昌幸・幸村父子は豊臣家のため、更に大名復帰を目指し再起を図っていた。豊臣家への忠誠心を”侠気”と捉え、書名の”忍侠記”となったのであろう。
 意外なのは終りの方で、大阪夏の陣で家康が討ち死にしたことになっている点。解説文によると、そういう説もあるらしい。
 あちらこちらに上田の方言らしい台詞が現れ、それだけを見ても面白い。現在も地元の人が使う言葉づかいなのかは興味のあるところ。今後の楽しみにしたい。
 最近、覚えたばかりの上田の地名も多く出てくるし、かつてはこの土地を本書の登場人物たちが駆け回っていたと想像するだけで、なんとも言えない気持ちである。

更新日: 02/04/22