読書メモ

・「元亀信長戦記
(編集部:編、 \620、学研M文庫) : 2002.12.03

内容と感想:
 
その戦いの日々の生涯において、元亀年間(西暦1570〜1573年)は信長にとってどういう時期であったか、様々な視点から12人の著者がドキュメント形式で迫る。

第一章 ドキュメント”元亀争乱”
第二章 信長苦悩の戦陣
第三章 信長勝利の秘密
第四章 検証:信長包囲網
第五章 信長軍団 元亀十将

 信長は既に永禄11年(1568年)に足利義昭を伴い上洛を果たしていた。とは言え、信長の傀儡でしかないと気付いた室町幕府15代将軍・義昭は間もなく信長と対立するようになる。
”元亀争乱”とも言われる元亀年間の主な戦いは以下の通り:

元亀元年(1570) 
・上洛の呼びかけに応えない越前・朝倉義景を討つため越前攻め。しかし同盟者・浅井長政の裏切りにあい、命からがら逃げ帰る。
・姉川の戦い:浅井氏を討つべく、徳川家康の援軍と共に、江北(北近江)に向かった織田軍は浅井・朝倉の連合軍と激突。数で勝る織田・徳川軍の勝利に終わるが、浅井氏を攻め滅ぼすまでには至らず。
・京に近い近江・坂本に攻め寄せた浅井・朝倉連合軍と激突。朝廷の権威を利用して和睦。

元亀二年(1571)
・伊勢・長島攻め:一向一揆の抵抗が激しく惨敗
・延暦寺焼き討ち:

元亀三年(1572)
・再び浅井討伐のため江北に向かう。朝倉の援軍も押し寄せるが決戦には至らず。このとき同盟者・徳川領には上洛を始めた武田信玄が攻め入る(三方原の戦い)。信長自身は出陣できず援軍を送ったのみ。

元亀四年(1573)
・反信長を明らかにし挙兵した義昭を攻め、追放(足利幕府の終焉)。
・江北攻め。支援に来た朝倉軍を追って、越前まで攻め上り、義景を討つ。そのまま江北に戻ると浅井長政を討つ。
・反信長勢力の三好義継(自害)と松永久秀(助命される)を攻める。

 このように元亀年間の信長は信長包囲網とも言われる抵抗勢力たちとの戦いの連続であり、何度も危機的な状況に追い込まれては、乗り越えてきた。小説形式でなくともその緊張感が伝わってくる。心休まる日はなかったのではなかろうか。
 この時期をなんとか乗り切ったことで徐々に尾張・美濃を始め、京を中心とする近畿地区の支配も安定していき以後の織田政権の拡大につながったと言えよう。どんな危機に陥ってもそれを克服し、抵抗するものは徹底的に排除する、その強烈な意志に改めて驚嘆する。
 興味深かったのは第四章、水野和雄氏の「誇り高き敗者 朝倉義景の矜恃」。朝倉氏と浅井氏との同盟関係に異を唱える。朝倉氏の方が格が上であり、浅井氏は朝倉の有力武将に過ぎなかったのではと資料に基づいて論じている。

更新日: 02/12/03