読書メモ  

・岩波文庫「門」(夏目漱石・著 \360、岩波書店)


きっかけ:
 なんで突然、漱石かと言うと、先に読んだ「禅の本」に「門」を引用する部分があり、また漱石自身も若い頃に鎌倉・円覚寺に参禅したことも書かれていた。どうやら漱石の時代に、”禅ブーム”なるものがあったらしい(石崎等氏の注による)。「禅の本」は入門書であったが、禅の何たるかは全く理解できなかった。これまで多くの経典や書物が記されているが、いずれも小難しそうで、なかなか手が伸びそうもない。と思っていたら漱石が禅に興味を持っていたことを今更ながら知り、小説からなら取っ付き易かろうと単純に考えて、手にしたのだ。

内容と感想:
 しかし、本書の主人公である宗助(そうすけ)が禅門をくぐり禅に接するのは、物語もクライマックスに近い18章から21章だけである(全23章)。直接的には漱石は書いてはいないが、宗助は学生時代、親友の妻・御米(およね)と不倫の恋に落ち、それ以降世間に背を向けるように、ひっそり暮らしていた。その罪を背負って生きていく苦しみから、とうとう知り合いの紹介で禅に救いを求めた。結論から言えば、悟りを開くところか、修行にも身が入らず、十日で東京に戻ってしまう。
 従って、宗助が悟りへ至るというようなサクセス・ストーリー(?)ではなかった(ちょっと不満ではある)。
 宗助が禅寺という世間とは隔絶した世界にいる場面以外は、特に積極的に世間と接するでもなく横町で御米と二人、お互いの傷を舐め合うように暮らす様子が、ただ淡々と描かれる。派手な演出はないし、全般に地味な印象。明治の頃の話というイメージが最初から頭にあるからか、頭に浮かぶ映像は色彩は淡く、どちらかというとモノクロームに近い。
 辻邦生氏の解説によると、「門」は朝日新聞に連載されていたという(明治43年3月から6月まで)。何か新聞小説向きじゃないような気がしたが、当時の読者はどんな感想をもってこの連載を読んでいたのだろう?
 本作品の文学的解析は解説の辻邦生氏にお任せするとして、中学以来久しぶりに読んだ漱石は大人の小説でした(映像化すると至極地味なものになりそうだが、映画化されたりしているのだろうか?)。

更新日: 00/09/15